子どもデボーション
4月 14日〜 4月 20日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
さあ、二週目だ。先週はどうだったかな。楽勝、楽勝? まずとにかく毎日聖書を開いてその日の個所を何回か読むこと。そして聖書を通して神様が私に何を話そうとしておられるかを、考えること。きっとだんだん楽しくなるよ。


四月十四(日)マタイ一三44〜46
 天国は本当にすばらしいところだから、どんなものにもかえられない。天国に比べたら他のものはみんなつまらなく見えてくる。天国のすばらしさをもっともっと知ってほしいなあ。天国に入るためには自分が今大事に思っているものを全部手放しても惜しくないほどなんだ。


四月十五日(月)ピリピ三4〜12
 パウロはユダヤ人の中でエリート中のエリートとして育ち、将来、政治家として、宗教家として、みんなから尊敬される立場になれることは確実でした。けれども彼がイエス様を知った時、それまで大事だと思っていたものもまるで糞土(ふんど・ゴミやうんち)のようにしか思えなかったのでした。


四月十六日(火)マタイ一三47〜51
 やがて世の終わりが来ます。その時には神様は神様を信じて罪赦され、義とされた人と、最後まで神様の救いを受け入れなかった人を分けられます。終わりの時はイエス様を信じていた人にとっては救いの日ですが、信じていなかった人にとってはさばきの日です。その時になってからでは遅すぎます。


四月十七日(水)マタイ一三53〜58
 イエス様は自分が育ったナザレの町にもどって、そこでも神様の話をされました。その町の人たちもその話をすばらしいと思いました。その奇跡をすごいと思いました。けれども、その町の人たちはイエス様を救い主として信じることはしませんでした。聖書もいい話だなあで終わっては困ります。


四月十八日(木)マタイ一四1〜12
 ヘロデヤはバプテスマのヨハネをにくんでいました。ヨハネが、自分とヘロデとの結婚が間違っていると言ったからです。けれどもついにチャンスがやってきて、ヘロデヤはヨハネの首を切らせることができました。人のにくしみとは何と恐ろしいものでしょうか。


四月十九日(金)マタイ一四13〜21
 「パン5つと魚二ひきしかありません」と弟子たちは言いました。けれどもその少しのものがイエス様の手の中に全部置かれた時、イエス様はそのパンと魚を祝福し、食べたみんなの人が満腹したのでした。私たちはイエス様のところに何を持って行くことができるでしょうか。


四月二十日(土)マタイ一四22〜36
 弟子たちは真っ暗なガリラヤ湖の上で強い風と波になやんでいました。イエス様は弟子たちに波の上を歩いて近づかれました。弟子たちはびっくり。だってそんなところにイエス様がおられるなんて思わなかったからです。「しっかりするのだ。わたしである」。今もイエス様は励ましてくださいます。