子どもデボーション
5月 19日〜 5月 25日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 聖書はあくまをやっつける刀でもあります。あくまをたおす武器は聖書です。聖書を読んでいないとあくまにやられてしまいます。あくまは聖書が大きらいですから、私たちが聖書を読まないように、信じないようにと必死なのです。


五月十九日(日)使徒二1〜13
 五旬節というのは別名ペンテコステ、収穫の季節の初めにあるお祭りで、世界中のいろいろな国から大勢の人たちがエルサレムの神でんに集まってきていました。聖霊の神様が弟子たちの上に降って、彼らはいろいろな国の言葉を自由に使ってイエス様のことを話し出したのです。


五月二〇日(月)使徒二14〜21
 人々はおどろいたのですが、聖霊が信じる人たちの上に来てくださることは旧約聖書の預言者の一人のヨエルが預言していました。若い人も老人も聖霊が注がれると神様のことを話さないではいられません。そして同じ聖霊はみんなの教会にもそしてみんなの心にも来てくださいます。


五月二一日(火)使徒二22〜36
 あのおくびょうだったペテロが勇気をもって、神様のことを話していました。それは、「あなたがたが十字架につけて殺してしまったイエスは神、主であって、死なれたが、死を打ち破ってよみがえられた」というメッセージでした。イエス様の十字架と復活を話さないではおれなかったのです。


五月二二日(水)使徒二37〜42
 ペテロが聖霊に満たされて、イエス様の十字架と復活を語った時、人々は自分がどんなに悪い罪を持っているかが分かりました。ペテロは人々に、罪を悔い改めてバプテスマ(洗礼)を受けるように言いました。三千人の人たちがイエス様を信じました。あなたはイエス様を信じていますか?


五月二三日(木)使徒二43〜47
 イエス様を信じた人々は神様を賛美し、毎日、神殿に集まりました。その人たちは「これも、あれも全部おれ様のものだ」とひとりじめしませんでした。何か与えられたり、持っていると、他の人にも分けてあげました。神様が一人一人に喜びを与え、やさしい心を与えてくださったからです。


五月二四日(金)ヨハネ一四25〜31
 イエス様は弟子たちに「心をさわがせるな、恐れるな」とおっしゃいました。それはイエス様ご自身の内にあった平安が私たちの心を守ってくださるからであり、また助け主である聖霊がいつも私たちのそばにいて、私たちに神様のお言葉を思い起こさせてくださるからです。


五月二五日(土)ヨハネ一六1〜15
 イエス様はよみがえってから天にのぼられましたから、私たちはイエス様を直接目で見たり、声を聞くことはできません。けれども助け主である聖霊が私たちに罪について、義について、さばきについて私たちを教え、いつも共にいて私たちを正しく導いてくださるのです。うれしいことですね。