子どもデボーション
6月 16日〜 6月 22日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 私たちはイエス様の声が聞きたくても、この耳でそれを聞くことはできません。けれども私たちが聖書を読む時に、私たちは御言葉を通して神様のやさしい声を聞くことができます。イエス様の声を聞いているとイエス様のような性格になってきます。


六月十六日(日)マタイ一八15〜2
 一人で祈るのもすばらしいことですが、二人であっても心を合わせて祈る祈りを神様はよろこんでくださいます。私たちは集まっても私たち自身には力はないかもしれません。けれども私たちが心を合わせて祈る時に神はそれをかなえてくださるのです。私たちは何と大きな力を持っているのでしょう。


六月十七日(月)1コリント一二1〜3
 パウロがこの手紙を書いた時代、「イエスは主」と言うのは大変なことでした。世界を治めていたローマの王様が自分こそが主だと言っていたからです。性格がちがい、考え方がちがったとしても、「イエス様は主」と言える人はみんな同じ聖霊の神様に導かれている人なのです。


六月十八日(火)1コリント一二4〜11
 聖霊の神様は一人一人に特別な才能や力、そして努めを与えて下さいました。みんなも他の人にはないすばらしいものをきっと持っているはずです。それは一人一人みんなちがいます。神様はみんなが一つになって神様のためにすばらしいことができるように、それぞれに才能をくださったのです。


六月十九日(水)1コリント一二12〜31
 からだにはいろいろな部分があります。そしてその働きは全部ちがうのですが、いらない部分などありません。目立たない部分もみんな大切です。みんなつながっています。教会も同じです。みんなちがいます。目立たない人もいるでしょう。でもみんな大切なのです。


六月二〇日(木)1コリント一三1〜3
 どんなにふしぎなことができるほどの大きな力や才能を持っていたとしても、もし私たちが他の人を愛することができなかったら、そのすばらしい能力もあまり意味がありません。どんなに人からほめられても、神様がつくられた他の人との間に大切なのは愛することなのです。


六月二一日(金)1コリント一三4〜7
 愛とは何でしょうか。今は愛がいろいろな歌の中にもいっぱい出てきます。歌われています。みんなが愛されたいと思っていますし、愛にあこがれています。あなたには愛がありますか。今日の聖書の個所の「愛」というところに自分の名前を入れて読んでみてください。あなたには愛がありますか。


六月二二日(土)1コリント一三8〜13
 私たちの愛はすぐ変わってしまいます。「あんなに昔は愛し合っていたのに、今は愛がなくなってしまった」なんてドラマのようなせりふですが、愛がなくなってしまうのは、その愛のどこかがにせ物だからです。神様は変わらない愛であなたのことを愛していてくださいます。