子どもデボーション
7月21 日〜 7月 27日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 神様は私たち一人一人をすてきなものとして造ってくださいました。でも私たちの心をよく見ていくと、何だかきたないものがうようよしていたりします。お金や人のものがほしくてたまらなくなってしまったり、友だちとなかよくなれなくなってしまったり、お父さん・お母さんの言うことをきけなくなってしまう・・・聖書はこれをつみと言います。こんなものが心にあると天国にいけません。でもイエス様は私たちをそんなつみからも救ってくださいます。


七月二一日(日)創世記三1〜7
 へびは「本当に、神がそんなこと言われたんですか」と女に近づきました。あくまはいつでも私たちに神様のお言葉をうたがわせようとします。「神様が言ってたって、そんなことないよ」と言われ、食べたら神様のようになると言われた時に、人間は神様が食べてはいけないと言っておられた木の実を食べてしまったのです。その時に、たましいが死んでしまって、神様と心が通じないようになってしまったのでした。


七月二二日(月)創世記三8〜13
 神様の言われることをやぶって、つみをおかしてしまった人間は神様からかくれるようになってしまいました。そして、神様に「あの木の実を食べたのか」と聞かれた時にも、「ごめんなさい」というのではなく、「あの人が悪い」「へびが悪い」と人のせいにしてしまったのでした。あなたは神様に、また人にごめんなさいと言えますか?


七月二三日(火)創世記三14〜19
 神様の言われたことを守らなかった人間はばつを受けることになります。けれども、神様は女から生まれる子そんが、やがてあくまの頭をふみくだき、あくまをほろぼすとやくそくされました。やがて、人間の子そんの一人としてイエス様はこの世に来てくださって、十字架であくまをまったくやっつけてくださったのです。


七月二四日(水)創世記三20〜24
 アダムとエバはいちじくの葉っぱで自分のはだかをかくしました。けれども神様は、動物をころして皮の服を作って彼らに着せてくださったのでした。動物が彼らのために死ななければならなかったのです。彼らはエデンの園にいられなくなります。


七月二五日(木)1ヨハネ一1〜4
 ヨハネはイエス様のことをいのちの言、いのち、永遠のいのちと言います。イエス様こそが私たちに永遠のいのちをくださる方だからです。そして永遠のいのちとはただずっと生きる、死なないいのちと言うことではなくて、神様と交わる、神様と心が通じるいのちと言うことなのです。


七月二六日(金)1ヨハネ一5〜10
 私たちのつみをゆるし、きよめてくださるのは、私たちのつみをおって十字架の上で血を流して死んでくださったイエス様です。私たちにとって大切なことは自分が神様をかなしませるつみを持っていることをすなおにみとめて、「ごめんなさい」とおわびすることです。


七月二七日(土)1ヨハネ二1〜6
 私たちが「神様、ごめんなさい」とおわびしてもやっぱりまたしっぱいすることがあるかもしれません。そうしたら、またじごく行きなのでしょうか。もちろん、つみはおわびしなければなりませんが、イエス様が私たちのためにとりなして、私たちがじごくに行かないように守っていてくださることも知っていて下さい。