子どもデボーション
8月 11日〜 8月 17日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 今週は八月一五日がやってくる。日本がせんそうに負けた日だ。六十年前のせんそうで、日本はたくさんの国にひどいことをした。日本の人も、おとなも子どもも、何も知らずにいっぱい死んでいった。せんそうってこわい。かなしい。
 もう二度と同じようなせんそうが起きないようにおいのりしたい。「なかよくしようよ」と声をかけるだけでは始まらない。私たち一人一人の心が神様のあいでいっぱいになるようにいのろう。


八月十一日(日)創世記十一1〜8
 こう水の後、人々は同じ言葉をしゃべり、一つのところに住んでいた。いっしょに住んで、ちえを合わせて、いろいろなものを作り、いろいろなことができるようになった。そのうち、「自分たちには何でもできる、神様みたいにだってなれる、神様のおっしゃることはきくのをやめよう」と言い出した。神様は言葉を通じなくした。なかがいいのはすばらしいこと。でもわるいことをなかよくするのはこまってしまう。


八月十二日(月)1ペテロ五1〜5
 高ぶる・えばる人は自分は他の人よりもえらい、自分には何でもできると思ってしまう。最後は自分はすごいから神様だっていらないやということにだってなる。大事なのはたといあなたがリーダーでも、年上でも、えばることなくあいして、いつでも神様の助けをいただくことなんだね。


八月十三日(火)1ペテロ五6〜14
 あくまはおなかのすいたライオンのようにイエス様をしんじている私たちもやっつけようとすきをうかがっています。あくまとたたかうのは大変なことです。苦しいこともあるでしょう。けれども私たちのことを心配していてくださる神様は、私たちを助けて、あくまにかたせてくださいます。


八月十四日(水)ヤコブ四1〜10
 あくまはえばる人が大好きです。お前はえらいんだから、神様の言うことなんかほっておけと私たちに言います。だまされてはいけません。本当にえらいのは自分のよわさを知っていて、神様の力をいつも求める人、神様の言うことをきく人です。神様が助けてくださるので、あくまはそういう人からにげていくのです。


八月十五日(木)ヤコブ四11〜12
 人のわる口は言ってはいけません。特にその人のいないところで、こそこそわる口を言ったり、いろいろなことを決めつけてもいけません。よい・わるいを決めるのは神様のしごとです。人のことではなくて、自分が神様の言うこと、よろこばれることをいつもしているか、てんけんしましょう。


八月十六日(金)ヤコブ四13〜16
 私たちは自分で何でもできると考えてしまうのですが、明日生きているかどうかも本当は分からないのです。とつぜん、交通じこにあったり、びょうきになる人もいます。今日も私が元気だとしたら、それは神様が守っていてくださるからです。元気であたり前ではなく、神様に心からかんしゃしましょう。


八月十七日(土)創世記十一9〜32
 さてノアの一番上の子、セムの子どもたちの話がはじまります。ここからの主人公はアブラムです。あなたはひっこししたことがありますか。アブラムとおくさんのサライはウルという大きな町を出て、ハランという町に住みます。神様はこのアブラムをえらんで導いていこうとしておられたのです。