子どもデボーション
9月 1日〜 9月 7日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 一九二三年九月一日、大きなじじんが東京・神奈川などにありました。「関東大しんさい」といわれる大じしんで一四万人以上の人がなくなったと言われます。じしんで多くのたてものがたおれ、また火事で多くの人々がなくなりました。
 九月一日はじしんに対してじゅんびができているか、かくにんする日でもあります。じしんはいつ来るか分かりません。だからちゃんとじゅんびしていないことも多いのです。
 イエス様がいつもどって来られても、あなたはじゅんびができていますか?


九月一日(日)創世記十六1〜6
 アブラムとサライはいつまで待っていても赤ちゃんが生まれないのでだんだん待てなくなってきました。アブラムはサライのおせわをしていたハガルともけっこんすることにしました。そしてハガルに赤ちゃんができました。よていどおり、ねがい通りでした。けれども、神様のやくそくを待てなかったアブラムの家はだんだんおかしなことになっていきます。ハガルは家をとび出していきます。


九月二日(月)創世記十六7〜16
 おなかに赤ちゃんのいたハガルは、あら野をさまよいます。しかし、神様はハガルに声をかけて、おなかの赤ちゃんに名前をあたえ、しゅくふくをやくそくしてくださいました。神様はアブラムとサライに生まれる赤ちゃんをしゅくふくすることに決めておられたのですが、ハガルとその赤ちゃんも決して見すてられなかったのです。


九月三日(火)創世記十七1〜2
 十七章1節ではアブラムは九九才になっています。アブラムが自分の考えでハガルとけっこんしたことは神様をかなしませたようです。けれども十三年たった時、神様の方から近づいて、「私にはどんなことでもできる。あなたを完全な人にすることもできるのだ」と声をかけてくださったのです。


九月四日(水)創世記十七3〜8
 神様はただただ神様のお言葉の前にひれふすアブラムにふたたび、「あなたのしそんはいっぱいになる、カナンの地をそのしそんにあたえる」とおっしゃり、アブラムにアブラハムという新しい名前をくださいます。アブラハムは神様のやくそくを思い起こしたことでしょう。


九月五日(木)創世記十七9〜14
 神様はアブラハムに神様のやくそくのしるしをつけるようにとおっしゃいました。男の子のちんちんの皮を切ったのです。「かつれい」と言います。アブラハムはそのきずを見るたびに、神様がしてくださっためぐみのやくそくを思い起こしたのです。


九月六日(金)創世記十七15〜26
 神様はサライにもサラという新しい名前をくださり、サラは来年の今ごろお母さんになるとやくそくされます。アブラハムにとってもとてもしんじられないような話でした。アブラハムはおじいさん、サラもおばあさんになっていたからです。でも、神様は「ぜんのうの神(何でもできる方)」とおっしゃっていたのですよね。


九月七日(土)ローマ四9〜25
 アブラハムは赤ちゃんができるなんてよそうもできませんでした。でもアブラハムはそれでも神様をしんじました。神様は何もないところからでも、ものを作ることがおできになり、死んだ者も生かしてくださる力のある方だとしんじたのです。アブラハムが神様をしんじたように、私たちもすくい主である神様をしんじましょう。