チャレンジ・ダ・バイブル
アブラハムは「しんこうの父」ともよばれています。アブラハムは「私は年をとっているんだから、絶対子どもなんて生まれるはずがない」と言わないで、神様のやくそくをしんじたからです。神様もまたそんなアブラハムを友だちのように思ってくださいました。友だちからしんじてもらえないってかなしいよね。神様は私たちが大好きだから、私たちがしんじないとかなしまれるし、しんじるととてもよろこばれるんだよね。
九月八日(日)創世記十八1〜15
神様はアブラハムに「来年の今ごろ、赤ちゃんが生まれている」とやくそくされました。けれどもおくさんのサラにとっても、とてもしんじられない話でした。サラはその話を入り口で聞きながら、心の中でわらいました。だれにも分からないはずでした。けれども神様はサラの心をちゃんと見ておられました。サラは一年後、もう一度わらうことになります。けれども、今度は、本当に赤ちゃんができてうれしくてうれしくてわらったのでした。神様にできないことはありません。
九月九日(月)創世記十八16〜33
神様はソドムの町をほろぼそうとしておられました。その話を聞いたアブラハムはすぐにソドムにいるじぶんのしんせきのロトとその家族のことを考えました。そして神様の前にひっしになっておいのりしたのです。あなたはだれかのためにお祈りしたことがありますか。
九月十日(火)創世記十九1〜14
アブラハムの家に来たみ使いはソドムの町のロトの家に行きました。その町の人たちは大変わるい人たちでした。神様はロトに「その町をほろぼすから、そこを早く出るように」とおっしゃいました。ロトの二人のむすめにはボーイフレンドもいましたが、神様の言葉をしんじることができませんでした。神様はわるいことは大きらいです。
九月十一日(水)創世記十九15〜29
神様はロトと家族の手を引いて町の外まで引っぱり出します。神様はアブラハムのおいのりをおぼえておられて、ロトと家族をすくいたいと思われたからです。けれどもロトのおくさんはみ使いの言うことを聞かないで、後ろをふりむいてしまったので、しおの柱になってしまいました。
九月十二日(木)創世記二十1〜18
アブラハムはネゲブで前と同じしっぱいをします。自分のおくさんを「妹です」と言ったのです。その国の王様のアビメレクはサラとけっこんしたいと思います。けれども、神様はまたアブラハムとサラを守ってくださいました。でも本当はアブラハムが最初からうそをつかなければよかったのです。
九月十三日(金)創世記二一1〜7
さて一年後、おじいさんのアブラハムとおばあさんのサラに本当に赤ちゃんが生まれました。サラはうれしくてうれしくてたまりませんでした。アブラハムたちは神様がおっしゃっていた通りにその子を「イサク」と名づけました。「わらう」という意味の名前です。神様は私たちに大きなよろこびをくださるお方です。
九月十四日(土)創世記二一8〜21
ハガルとその子イシマエルは家を追い出されて、あら野をさまよいました。やがて持ってきていた水もなくなりました。イシマエルは泣きました。ハガルもどうしていいか分かりません。けれども神様はちゃんとハガルとイシマエルのことも心配していてくださいました。