子どもデボーション
9月 22日〜 9月 28日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 今週はイサクのけっこんの話を学びました。みんなはおとなになるまでずっと時間がかかるかもしれないけれど、きっとやがてそう言う日がやってきます。大きくなって、おとなになって、どんなひとにけっこんするのか考えて、おいのりしているのはとても大切なことです。お金持ちだからとか、かっこいいから、きれいだからというだけで相手をえらんではダメですよ。


九月二二日(日)創世記二四1〜9
 アブラハムはそろそろ自分のむすこのイサクにおよめさんをさがさないといけないと思いました。どんな女の人がイサクにぴったりのおよめさんだろうかと考えたときに、アブラハムたちのいたカナンの地にも女の人はたくさんいたでしょう。けれどもアブラハムはちかくにいる女の人たちはこまると思ったのです。それはカナンの女の人たちはうその神様を一生けんめいしんじていたからです。アブラハムはしもべをじぶんのこきょうに送ります。神様はみつかいを先に送って助けてくれる、そうアブラハムはしもべに言いました。


九月二三日(月)創世記二四10〜14
 アブラハムのしもべは主人のこきょうにやってきます。大変なせきにんです。しもべは神様にいのります。神様に助けていただかないとどうにもならない、そう思ったのでしょう。こまった時、どうしていいか分からない時に大事なことは、神様においのりすることです。


九月二四日(火)創世記二四15〜27
 しもべは井戸のほとりで女の人をまっていました。そして水をのませてくださいとたのみました。そのころの井戸は深く、水をくむのは大変な仕事でした。そんなとき一人の女性がやってきました。リベカでした。しもべに水をほしいとたのまれたリベカはしもべに水をのませ、十頭もいたらくだにも水をのませてくれました。リベカはとてもやさしい女の人でした。


九月二五日(水)創世記二四28〜53
 しもべはリベカの家に行き、今までのいろいろなことを話し、リベカをイサクのおよめさんにとおねがいします。リベカのかぞくもこれは神様のみちびかれたことだとしんじたのでした。けっこんは神様のみちびきのもとで行われるべきものなのです。


九月二六日(木)創世記二四54〜67
 アブラハムのしもべはつぎの朝、リベカを連れて主人のもとに帰りたいと言います。神様がその旅を守られ、イサクのためにすてきなおよめさんをあたえてくださったからです。リベカは「行きます」と言って、しもべといっしょに旅立ちます。リベカも神様のみちびきを感じたのでしょう。


九月二七日(金)創世記二五1〜11
 アブラハムはイサクのおよめさんさがしという大きなしごとをなし終えて、死んでサラのとなりにほうむられます。イサクにとって、アブラハムの死はどれほどかなしいことだったでしょうか。けれども神はその子イサクをしゅくふくされたのでした。


九月二八日(土)創世記二五12〜18
 イシマエルはアブラハムとハガルの間に生まれました。アブラハムとサラが神様のやくそくを待ちきれなかったからです。イサクが生まれてから、お父さんからもはなれて、お母さんとくらさなければならなかったイシマエルはかわいそうだったかもしれません。けれども神様はイシマエルもしゅくふくし、たくさんの子どもたちをあたえてくださったのでした。