チャレンジ・ダ・バイブル
十月になりました。聖書を読むのは楽しいですか。それとも大変ですか。つまらないですか。それともうれしいですか。みんながこうして聖書を持って、毎日これを読むことができるのはすばらしいことです。
昔の人は今のように聖書を読むことができませんでした。聖書を持つこともできませんでした。聖書は羊の皮に書かれて、丸めてあって、全部を持って行こうとしたらトラックが必要なほどでした。それに聖書はとても高価でしたからかんたんに買うことはできなかったのです。
昔の人たちが今の私たちのことを知ったらきっとうらやましく思うでしょう。だから私たちはこのように与えられている聖書を感謝したいと思います。
十月六日(日)創世記二七1〜17
お父さんのイサクは自分が死ぬ前に、お兄さんのエサウのために特別なしゅくふくのお祈りをしようと思いました。けれどもお母さんのリベカと弟のヤコブはお父さんをだましてでも、そのお祈りを横取りしようとしました。どうしてもお祈りしてほしいという気持ちはすばらしいのですが、うそは困りますね。
十月七日(月)創世記二七18〜29
うそをついたことありますか?どんな気持ちがしますか。バレないかなあってどきどきするよね。ヤコブもきっとヒヤヒヤしていたでしょう。けれども最後までうまくいって、お父さんのヤコブに特別なお祈りをしてもらうことができました。でもバレなければよかった・・・というのは大まちがいです。神様は知っておられますから。
十月八日(火)創世記二七30〜40
お兄さんのエサウが帰ってきましたが、もう特別なお祈りは終わってしまっていました。エサウが泣いて求めた時には、もうおそすぎたのです。神様のめぐみを求める時にもおそすぎると言うことがあります。今がチャンスです。神様のすくいとめぐみを求めていきましょう。
十月九日(水)箴言三十7〜10
このしんげんの作者は二つのことを神様に求めました。その一つは自分がうそをつくことなく、正直な生き方ができるようにということです。きっとこの作者も自分の心の中にうそをついてしまう悪いところがあるのを知っていたのでしょうね。
十月十日(木)コロサイ三1〜4
「上にあるもの」って何だろうね。あなたは何がほしいですか。私たちは目に見える、お金で買えるものがほしいと思います。けれどもそれよりももっとすばらしいのは目に見えないもの、お金で買えない物、神様だけが与えることのできる祝福です。「上にあるもの」を求めましょう。
十月十一日(金)コロサイ三5〜11
私たちはイエス様を信じる時に新しい人にされます。そして新しい人は悪口やうそ、おこったらんぼうな言葉といったものを捨ててしまうのです。私たちの口から悪い言葉が出てこないように、神様に心と口を守っていただきましょう。
十月十二日(土)コロサイ三12〜17
悪い心・悪い言葉を追い出してしまったら何が残るのでしょうか。何が心の中にあるのでしょうか。ゆるす心、愛、キリストの平和です。そして悪い言葉のかわりにキリストの言葉が心の中にいつもいっぱい入れておくことです。毎日せいしょを読んで、心にみことばをたくわえましょう。そうするとさんびとかんしゃがあふれてきます。