子どもデボーション
11月10日〜 11月16日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 みんなには兄弟がいますか。みんなは兄弟げんかをしますか?けんかをするといっしゅん、兄弟なんていなければいいのにって思ってしまうことがあるかもしれないね。(兄弟がいない人はうらやましいって思うかも)。けんかをしてもいいけれど、にくらしいーってずっと思いつづけるのはこわいことです。エサウも、ヨセフの兄弟たちも自分の兄弟をにくんでしっぱいしたね。みんなも神様に心をまもっていただこうね。でも神様はちゃんとヨセフを守ってくださいました。
 クリスマスのじゅんびは少しずつはじまっているでしょうか。教会学校も聖書も休まないでがんばろうね。


十一月十日(日)創世記三九1〜6
 じえい長とはけいさつしょの一番えらい人です。ヨセフはそのじえい長のポテパルという人に売られていきました。けれども、ヨセフはそこでもんくを言ったり、泣いていたりしないで、一生けんめいしごとをしました。そしてポテパルも家のしごとを全部まかせました。神様がいっしょにいて、ヨセフのするのことを全部しゅくふくしてくださったからです。


十一月十一日(月)創世記三九7〜18
 ヨセフはルックスもよくハンサムでした。主人ポテパルのおくさんはヨセフに一目ぼれして、ご主人がどこかに出かけると毎日、言いよってきました。ヨセフとうわ気をしようとしたのです。けれどもヨセフはそれが悪いことであることを知っていましたから、はっきりとことわることができました。


十一月十二日(火)創世記三九19〜23
 ヨセフは正しいことをしたためにポテパルのおくさんにうらまれて、ろうやに入れられてしまいました。正しいことをしていたのに分かってもらえなかったり、ごかいされるのはかなしいことですね。けれどもろうやの中でも神様はヨセフといっしょにいてくださいました。


十一月十三日(水)エレミヤ二九11
 エレミヤさんの時代、イスラエルの人たちはバビロンという遠い国にほりょになって連れて行かれました。苦しくかなしくつらい時でした。けれどもエレミヤはそんなイスラエルの人たちを、神様はみなさんのためにすばらしいけいかくを持っておられるのですとはげましました。


十一月十四日(木)詩篇一一九65〜72
 苦しいことに出会うことがあるかもしれません。いやなこと・つらいことがあるかもしれません。けれども、この詩篇の作者は「苦しみに会ったことはしあわせだった」と言っています。苦しい時でないと分からない神様のみことば・そこからくるはげましがあるからです。


十一月十五日(金)哀歌三16〜33
 哀歌を書いた人も大きな苦しみの中にありました。苦しくてつらくて、なみだがとめどもなく流れてきました。けれどもなみだの中でこの人も「神様のめぐみ・あわれみはかぎりがない」ということを思い起こしました。神様はきっと私を助けてくださると、信じて神様を見上げたのです。


十一月十六日(土)ローマ八18〜25
 ローマ人への手紙を書いたのはパウロです。パウロは言います。今は苦しいことがあって、目の前にあることもつらいことばかりかもしれない。けれども神様はやがてすばらしいしゅくふくあたえてくださる。そして、そのことを知っていたら、どんな中でもたえていくことができるのです。