子どもデボーション
12月15日〜 12月21日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 さあクリスマスまであと十日。わくわくドキドキしますね。何をプレゼントにもらおうかなあというのもいいのだけれど、みんなのかぞくや友だちに何かプレゼントできるといいね。お金がかかっていなくても心のこもったプレゼントを考えてみよう。ねえ、それから、クリスマスに大事なイエス様をプレゼントしてくれた神様には一体どうしようか? 神様はどんなプレゼントをよろこんでくださるだろうか。
 今週はイエス様のお母さんのマリヤさんのことを学んでいこう。マリヤさんってどんな人だったんだろう。マリヤさんって友だちがたくさんいたかな。 やさしい人だったのかな。元気な人だったのかな。明るい人だったのかな。


十二月十五日(日)ルカ一26〜38
 「おめでとう」と天使は言いました。でもマリヤはけっこんしていませんでした。「神様には何でもできる」という天使に「わたしは主のはしため(けらい・しもべ)です」とマリヤは答えました。神様のみ言葉に全部おまかせしたマリヤを神様はよろこんでくださいました。あなたも神様におまかせできますか。


十二月十六日(月)ルカ一39〜45
 マリヤに子どもがおなかにできた時、マリヤの話をしんじてくれた人は多くはなかったでしょう。でもマリヤのおばさんのエリサベツはちがいました。おばさんも神様がどんなに力がある方かをよく知っていたからです。神様はマリヤの話を分かってくれる人をそなえていてくださいました。


十二月十七日(火)ルカ一46〜56
 マリヤのさんびを読むとマリヤがどんなによくきゅうやく聖書を知っていたかがわかります。マリヤは自分の身に起こっていることが聖書に書かれている神様の言葉どおりであることを知っていたのです。力のある神様は小さなわたしたちのことも心にかけ、大きなことをしてくださいます。


十二月十八日(水)詩篇一1〜6
 詩篇の記者はさいわいな人は、主のみ言葉をよろこんで、いつもそのことを思っている人と言いました。これはみ言葉のことをぼんやり考えているというと言うことではなく、口ずさむ、ぶつぶつ言うという意味です。み言葉を声を出して読んでみましょう。心が元気になってきます。


十二月十九日(木)詩篇十二1〜8
 人の口はすぐに悪いことを言います。いいことを言っていながら本当はちがうことを考えていることもあります。けれども神様の言葉はちがいます。神様の言葉は清い言葉です。これ以上、清くすることはできないほど、何のまじりけもない言葉です。うそも何の悪意もないとおとい言葉です。


十二月二十日(金)詩篇十九1〜15
 世界は神様の言葉によってつくられました。世界を見ると神様の言葉のすごさを知ることができます。神様の言葉は私たちを生かし、かしこくし、心を元気にします。神様の言葉はどんなにたくさんのきれいな金よりも、またどんなあまいハチミツよりもすばらしいものです。


十二月二一日(土)詩篇五六1〜13
 この詩篇の記者は苦しみの中にありました。てきがおおぜいいました。自分のじゃまをする人、自分がしっぱいするようにとねがっている人たちがいました。泣きたくなるようなことが多かったのです。けれどもこの記者はみ言葉をたたえ、神様にたよりました。おそれはなくなってしまいました。