子どもデボーション
1月19日〜 1月25日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 みんなのまわりには病気のお友だちがいるかなあ。みんなはそのお友だちのことをどう思いますか。ぜひ、そのお友だちともなかよくして、そのお友だちが元気になれるようにお祈りしてあげてほしい。元気な人は神様に感謝しようね。私たちがけんこうなのはすごいことなんだ。
 チャレンジャーのみんなの中には「ぼくはわたしは病気なんだ」という人がいるだろうか。すごいことを教えよう。イエスさまは目には見えないけれど病気の人を愛して、いつもそのそばにいてくださるんだ。


一月十九日(日)マタイ八14〜17
 ペテロの家には病気の家族がいました。しゅうとめ(おくさんのお母さん)が熱が出て病気でねていたのです。ペテロもおしゅうとめさんの体のことがとても心配だったでしょう。けれども、イエスさまはこのお母さんにも手をふれていやしてくださいました。いやしていただいたおしゅうとめさんは一生けんめいイエスさまにごちそうしました。うれしくてたまらなかったのでしょうね。


一月二十日(月)ルカ四38〜44
 ルカもまたペテロのしゅうとめのいやしの記事を書き残しています。昨日読んだマタイの記事と読み比べてみるといいよ。どんなことがあったのかもっとよく分かってくる。  イエスさまはあくまにつかまってどうにもならなくなっている人たちも助けてあげた。あくまもイエスさまが神の子であることを知っていた。でも神の子として礼拝はしなかった。知っているだけじゃだめなんだね。


一月二一日(火)出エジプト一五22〜27
 モーセがイスラエルの人たちと荒野を歩いた時、神様はイスラエルの人たちの体のこともちゃんと心配していてくださった。イエスさまは私たちの心も体も元気にすることがおできになる。


一月二二日(水)イザヤ五三1〜5
 イエスさまが病気をいやし、罪の力から人々を助けてあげた時、それはチョイとそれをしたのではない。私たちを救うために、イエスさまは私たちの病気も、悲しみも、罪も負って十字架で負ってくださったんだ。


一月二三日(木)ヤコブ五13〜18
 罪がもとで病気になる人もいる。毎日夜遅くまで遊んでいたり、食べ物の好き嫌いばかり言っていたり、いつも怒ってばかりいたり・・・。私たちの心と体はつながっている。だから神様の前におわびして、神様に喜ばれる生き方をすることも大事なことだ。


一月二四日(金)ヨハネ九1〜7
 病気になるのは悪いことをしたばちが当たったのだろうか。イエスさまは「ただ神のみわざが、現れるため」とおっしゃった。神様の特別なご計画の中で病気になるお友だちがいる。病気を通しても神様のすばらしさがあらわされるんだ。


一月二五日(土)2コリント一二7〜10
 聖書で大かつやくしたパウロも何か分からないけれど、体にハンディがあったらしい。パウロは「とげ」と言っている。パウロはそれがいやだった。でも神様はパウロの弱いところでこそ神様の力がはっきりとあらわされるんだ、その弱さも恵みなんだとおっしゃったんだ。