子どもデボーション
2月16日〜 2月22日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 こわくて泣いてしまったり、声を出してさけんだり、ぶるぶるふるえてしまったことがありますか。心配で心細くなったことがありますか。いじめられたり、仲間はずれにされたことがありますか。
 どうぞ知ってください。イエスさまは目には見えませんが、いつもみんなといっしょにいてみんなを守り、聖書の言葉を思い出させて力をくださいます。だから私たちはどんな時にもだいじょうぶなのです。


二月十六日(日)マタイ十四22〜36
 イエスさまのお弟子さんたちには何人もガリラヤ湖をよく知っているりょうしさんたちが入っていました。何回もあらしにあったこともあったはずです。でもその弟子たちが湖の上でどうにもならなくなってこわくてこわくてたまらなかったのです。でもイエスさまはそんなお弟子さんたちに水の上を歩いて近づかれました。イエスさまは本当の神の子です。そしてこのお方が私たちといっしょだったら、何も恐れる必要はないのです。


二月十七日(月)マタイ十五1〜9
 イエスさまの時代のパリサイ人たちはよく聖書を知っていましたし、とてもまじめでした。でもこの人たちはきまりをたくさん作って、そのきまりを守ることが大切なことだと信じていたのです。でもいつの間にか神様より、自分のりっぱさをえばるようになってしまったのです。


二月十八日(火)マタイ十五10〜20
 たしかに食事をする前に手を良く洗ったら病気になりにくいでしょう。でも、そのことばかり気にして、心がきれいかどうかを全然気にしないのは考えものです。みんなの心の中には何が入っているかな。


二月十九日(水)マタイ十五21〜28
 ツロとかシドンに住んでいたのはユダヤ人ではありませんでした。イエスさまがそこにいらした時に、一人の女の人が自分の娘をいやしてくださるようにと一生けんめいたのみました。この女の人はイエスさまは絶対直してくださると信じて求め続けたのです。イエスさまは、この信じる心をよろこばれました。


二月二十日(木)マタイ十五29〜39
 イエスさまのところにまたたくさんの人たちが集まってイエスさまのお話をじっと聞き入っていました。ごはんを食べるのを忘れてしまうほどでした。三日も食べないで話を聞き続けている人々を心配して、イエスさまはすばらしいきせきをしてくださいました。


二月二一日(金)マタイ十六1〜4
 「しるし」とはしょうこのことです。イエスさまが神様から来た救い主だったらしょうこを見せろとパリサイ人たちは言いました。けれどもどんなふしぎなことを見たとしても信じる心のない人には信じることはできないのです。イエスさまは見ないで信じることを求められたのでした。


二月二二日(土)マタイ十六5〜12
 パン種とはイーストきんのことです。これは少しでもパンを大きくふくらませます。それと同じようにまちがった教えをぼっとしていて受け入れてしまうと大変なことになるとイエスさまはけいこくされました。