子どもデボーション
3月16日〜 3月22日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 春分の日ももうすぐです。これからは昼の長さの方が夜の長さよりどんどん長くなっていきます。日本では「お彼岸」と言ってこの時期によくお墓参りをします。多くの人たちがお墓に行ってご先祖様にお祈りをします。けれどもイエスさまを信じている私たちはご先祖様にお祈りはしません。私たちのご先祖がいなければ私たちはいないのですし、感謝の心を持つことは大切なのですが、ご先祖様は神様ではないからです。お墓の前に行く時に、ご先祖を私たちの前に送ってくださり、今も私たちを生かしてくださる造り主の神様にお祈りをしましょう。


三月十六日(日)マタイ一八21〜35
 ひょっとしたらペテロに悪いことをした人がいたのかもしれません。ごめんなさいと言われても何度も同じことをくり返されてしまうと「もうゆるせない!」と思ってしまいます。でもイエスさまはゆるし続けなさいとおっしゃいました。それは私たち自身もまた神様に多くゆるされているからです。


三月十七日(月)エペソ四25〜32
 悪いことをしてはいけません。悪口を言い合うのもとても悲しいことです。やられたからやり返すというのではなく、神様が私たちをゆるしてくださったことを思い、たがいにゆるしあいましょう。私もゆるされなければならない者、そしてゆるす者なのです。


三月十八日(火)コロサイ三12〜17
 もし相手にお前本当に悪いやつだなと責めるところがあったとしたら、相手に腹が立つようなことがあったとしたら、聖書はそんな時こそ「ゆるしあいなさい」と教えています。私たちもまたゆるされているからです。


三月十九日(水)マタイ五43〜48
 自分の仲間を愛し大切にし、自分の敵をうーんとにくむのは当たり前のことです。でもすばらしい天のお父さんを知っている人は、そのような相手も愛し、ゆるし、その人のためにお祈りすることができます。イエスさまはそのような祈りをよろこんでくださるのです。


三月二十日(木)マタイ六9〜15
 主の祈りの中にも「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という祈りがありますが、私の罪をゆるしてくださいと祈るためにも、私たちもゆるす心を持っていなければならないのです。


三月二一日(金)マタイ七1〜6
 私たちは人の悪いところばかり気になるものです。そして小さなことでも気になって気になってしかたありません。でも自分はどうかというと自分はもっと大変な罪や問題を持っていることが多いのです。「はり」って家の屋根を横にささえている太い丸太のことです。自分のことって気がつかないのです。


三月二二日(土)ガラテヤ六1〜5
 もし人に何か悪いことを見つけたら、自分はだいじょうぶかなと自分をしらべなさいと聖書は言います。自分のことをよく見てみると、自分はましだなんてえばれないでしょうと言うのです。大事なことはお互いに弱さをカバーすることなのです。