子どもデボーション
3月30日〜 4月5日

 

チャレンジ・ダ・バイブル
 三月が終わって四月になります。一年間聖書にチャレンジしてくれたみなさん、ありがとう。よくがんばりましたね。この一年間みなさんが読んできたみ言葉はみんなの心を豊かにし、みんなを神様のよろこばれる姿へと造りかえていくでしょう。
 この一年、教会学校も来たり来なかったりだったし、聖書もあまり読めなかったみなさん。それでもみなさんが神様を忘れないでここまで来られたことを本当にうれしく思います。教会の楽しさ、聖書を読む喜びをぜひ次の一年は知ってほしいなあと願い、みなさんのために祈っています。


三月三十日(日)ヨハネ一三1〜11
 イエスさまが十字架におつきになる前の夜のことでした。イエスさまはもうすぐお弟子さんたちが自分を見捨てていくことを知っておられましたが、それでもお弟子さんたちを愛してくださいました。そしてお弟子さんたちの汚い足を一つ一つ洗ってくださったのでした。イエスさまは十字架の上では汚い私たちの罪の心を洗ってくださったのです。


三月三一日(月)ヨハネ一三12〜16
 お弟子たちの足を洗われたイエスさまは、今度はお弟子たちにお互いに足を洗い合いなさいとおっしゃいました。それは汚い足を洗い合うというだけではなく、お互いにえばらないで、けんそんに仕え合い、お互いの弱く汚れたところを包み、受け入れ合うようにというすすめでもありました。


四月一日(火)ヨハネ一三17〜30
 イスカリオテのユダはイエスさまをうら切ろうとしていました。イエスさまはそのことをあらかじめおっしゃることによって、ユダにくいあらためるチャンスを与えられました。イエスさまはユダのことも愛しておられたからです。


四月二日(水)ヨハネ一三31〜34
 イエスさまは弟子たちにあたらしいいましめ(きまり)を与えられました。それはイエスさまが弟子たちを愛したように、弟子たちもお互いに愛し合うということでした。教会に来ているみんなが愛し合うように神様は願っておられます。


四月三日(木)1ペテロ二18〜25
 イエスさまは私たちのためにお手本を残してくださいました。それは苦しめられたり、ばかにされたり、そんをするようなことがあっても、神様に全部をまかせて生きるという手本でした。


四月四日(金)ピリピ二1〜11
 人になってこの世に来てくださり、十字架について私たちの罪をおって死んでくださったイエスさまが何を考え、どんな風に生きて行かれたかを思うことはとても大切です。そして、わたしたちもイエスさまのように考え、そのように感じ、そのように生きたいと思います。


四月五日(土)1テモテ一12〜17
 私たちが他の人たちよりも先に救われて神の子とされたのは、私たちが他の人たちよりもえらかったからでも、すばらしいからでもありません。神様があわれんでくださったからです。そして、私たちはこれからイエスさまを信じて救われる人たちのもはん(お手本)になるようにと期待されているのです。