チャレンジ・ダ・バイブル

 チャレンジって何のことか知ってる?
 チャレンジって自分がそれまでできなかったことに「挑戦」することだよ。聖書読むのは苦手だなと思っている人もぜひ挑戦してください。神様はみんなが聖書を読むのをとてもよろこんでくださるから。
 「聖書読むのはかんたんだよ、もうとっくに毎日読んでるもん」と言う人もやっぱり「挑戦」してください。聖書って読めば読むほど、もっともっと神様のことが分かってくるから。そして楽しく聖書が読める人は神様にたくさん感謝して、そして他のお友だちのためにもお祈りしてあげようね。みんなが聖書大好きになるように。


四月二十日(日)マタイ二八1〜10
 三日目の朝、女の人たちがイエスさまのおはかに行った。イエスさまの死体がくさくならないように、薬をぬろうと思ったんだ。でもそんなものはいらなかった。イエスさまは前から「よみがえるからね」と言っておられた。なのにだれも信じていなかった。でもイエスさまは本当によみがえってくださった!


四月二一日(月)マルコ十六1〜8
 女たちが空っぽのおはかに言った時、天使は「イエスはよみがえられた。ペテロにもそのことを伝えなさい」と言った。ペテロはイエスさまを三回知らないと言ったけれど、神さまはペテロのことを心配しておられたんだね。


四月二二日(火)ヨハネ二十1〜10
 日よう日の朝、おはかは空っぽで、ペテロたちが知らせを聞いてかけつけると、イエスさまを包んであった布がそのままぬけがらのようにそこに残っていた。ペテロともう一人(たぶんヨハネ)はそれを見て信じた。イエスさまは本当によみがえられたんだ。


四月二三日(水)ヨハネ二十11〜18
 マグダラのマリヤはイエスさまにあくまを追い出してもらった。そのすばらしいイエスさまが死んで、おはかから体までなくなってしまってかなしくて泣いていた。でも本当はマリヤは泣かなくても良かった。だってイエスさまがよみがえっておられるのにずっと泣いていたらおかしいものねえ。


四月二四日(木)(1)コリント十五1〜11
 福音とは「すばらしいニュース」という意味だ。教会ですばらしいニュースと言ったら何だろう。イエスさまが私たちを罪から救うために死んでくださったこと、そして三日目に本当によみがえってくださったことだね。そのことをパウロはいっしょうけんめい伝えたんだね。


四月二五日(金)(1)コリント十五12〜19
 イエスさまって本当によみがえられたんだろうか・・・と信じない人たちがコリントの教会にもいた。でもパウロはイエスさまがよみがえってくださったからこそ、信じることも、イエスさまを伝えることも、天国にきぼうを持つことも、意味があるんだと言ったんだね。


四月二六日(土)(1)コリント十五20〜28
 初穂とは最初に結ぶ実のことだ。それがとれるということは、そのあとたくさん実がとれることのしるしだった。イエスさまが最初だ。でもイエスさまがよみがえってくださったから、イエスさまを信じる人は、みんな死んでもまたよみがえる、そのことを信じてだいじょうぶなんだ。