チャレンジ・ダ・バイブル

 聖書にチャレンジして、今年こそと思っているみんなにコツを教えよう。まずいつ聖書を読むか決めることだ。朝が一番いいと思う。少し早起きして、一日の初めに何をするよりも前に聖書を読むってサイコーだ。でも早起きがどうしてもできなくて、朝ごはんを口につっこむまもなく、学校に行く人は、ねる前っていう手もある。一日をふり返りながら聖書を読む・・・これもシブイ。さて問題は朝は起きられないし、夜もねむくなっちゃってだめという人だ。学校から帰ったら読むとか、夜八時になったら読むとか、工夫して、とにかく時間を決めよう。もちろん計画がくるう時があっていい。時間が変わる時もあるだろう。でもこの時間は聖書の時間って一応決めとくのは聖書チャレンジャーには大切だ。


四月二七日(日)ルカ二四13〜32
 クレオパともう一人の弟子はイエスさまがいっしょにいるのにそれが分からない。イエスさまがこんな所におられるはずがないと信じていたから、イエスさまのことが見えなくなってしまっていたんだね。


四月二八日(月)ルカ二四35〜43
 イエスさまはエルサレムにいた弟子たちのところに来られた。でもよみがえれたイエスさまを目で見ていても信じられない。おばけだ、そんなばかなと思っている。信じないと本当に見えなくなる。イエスはおばけじゃないぞと魚を食べて見せられた。ほらおばけじゃないだろって。


四月二九日(火)(1)コリント十五35〜49
 イエスさまがよみがえられたように私たちもよみがえる。でも、天国の体とこの地上の体はちがっている。たしかに人間はみんな死ぬ。でもこの地上の体は天国には持っていけない。神さまは私たちをよみがえらせて天国で使える体をくださるんだ。


四月三十日(水)(1)コリント十五50〜58
 ラッパの鳴りひびく中で死んでいた人たちもよみがえる。おばけになってゾンビが出てくるのではない。新しい体に変えられてよみがえるんだ。死の前にだれもかなわないように見える。でもちがう。イエスさまがよみがえってくださったので、もう死は負けたんだ。イエスさまの大勝利!ハレルヤ。


五月一日(木)エペソ一15〜23
 心の目がよく見えるようになると、神の国がどんなにすばらしいところか、神さまの力がどんなに大きいかが分かってくる。見えてくる。イエスさまをよみがえらせた、その大きな力がイエスさまを信じるみんなの中にもはたらいている。教会の中にはたらいている。


五月二日(金)エペソ二1〜10
 私たちは体は生きているかも知れないけれど、あくまのいいなりになって、心が死んでいた。でもイエスさまをよみがえらせてくださった神さまは、そんな私たちの心も救ってくださった。それは私たちがまじめになってがんばったからではなく、神さまのめぐみなんだね。


五月三日(土)ローマ八31〜39
 イエスさまは死んで、それだけではなくよみがえって、父なる神さまの右に座って、私たちのためにお祈りをしていてくれている。私たちのまわりにどんなつらい、悲しい、いやなことがあっても、このイエスさまがいつもいっしょにいてくれるから、私たちはいつもあくまに大勝利。