チャレンジ・ダ・バイブル

 大切なことをお話ししましょう。それは、聖書を読む時に、いつも楽しいかというと、そうではないということです。時には聖書を読んでいてもチンプンカンプンでぜんぜんおもしろくないことがあるかもしれません。いいえ、きっとあるのです。おとなの人でも教会の先生でも、たまには今日は聖書読むのめんどくさいなあとふっと思うことがあるのです。でも毎日読み続けてください。私たちのまわりでは、いろいろなことについて、めんどくさかったら、いやだったらやめていいんだよとよく聞くようになりました。でもね。めんどくさくてもやらなくちゃいけないことってやっぱりあるんです。


五月四日(日)ヨハネ二十19〜23
 イエスさまがよみがえられた、その日の夕方になっても、弟子たちはイエスさまがよみがえられたと言うことがよくわかっていませんでした。イエスさまは弟子たちのいる家に入って来られて「やすかれ」とおっしゃいました。そして、もう一度イエスさまの大切なおしごとをゆだねられました。


五月五日(月)ヨハネ二十24〜29
 トマスだけは最初の日よう日、別の場所にいっていました。トマスは他の弟子たちからよみがえられたイエスさまのことを聞いても信じませんでした。でもそんなトマスにもイエスさまは近づいてくださいました。そして「見ないでしんじる人になりなさい」とおっしゃいました。


五月六日(火)ヨハネ二十30〜31
 ヨハネがこの福音書を書いたのは、この福音書を読む人が、それがどんな人であっても、イエスさまが神の子、旧約聖書にも約束されていた救い主であることを信じるためでした。あなたはイエスさまが救い主であることを信じていますか?


五月七日(水)(1)ペテロ一1〜12
 ペテロがうんととしをとった時、ペテロは小アジア(今のトルコ)にある教会の人たちに手紙を書きました。教会をつぶそうとする人たちがたくさんいました。教会の人たちはイエスさまに会ったことはありませんでした。でも、見たことのないイエスさまのことを聞いて、救い主として信じたのです。


五月八日(木)(1)ペテロ一13〜21
 ペテロは教会の人たちに言います。あなたがたが救われたのはお金によったのではない。神さまはあなたの救われるためにイエスさまの血という大きなぎせいをはらってくださったんだ。そしてそのイエスさまを死人の中からよみがえらせてくださった神さまを信じているんだと。


五月九日(金)(1)ペテロ一22〜25
 もう一つペテロが言ったのは、私たちが救われるのは、変わることのない神のみことばの力だということだった。神さまのみことばはぜったいに変わらない。だめにならない。やっぱりやめたということはない。神さまがゆるす・救うとおっしゃったら本当に救われるんだ。


五月十日(土)(1)ペテロ二1〜10
 イエスさまを信じて、よりたのむ人が、神さまにうらぎられて、がっかりして終わりということはぜったいにない。神さまは私たちを救ってくださった。そして私たちが、神さまのすばらしさを多くの人たちにお話しすることができるようにしてくださる。