チャレンジ・ダ・バイブル

 聖書を読んだら、その後にお祈りしよう。神さまに「ありがとう」と感謝し、「神さま、あなたは何てすばらしお方なのでしょう」とさんびをささげ、神さまにこれはいけないよと教えられたら「ごめんなさい」とおわびし、「神さま、あなたについていきます」と神さまのおっしゃることには何でもしたがうという決心を神さまに祈ろう。そして、自分の思っているいろいろなことを神さまにお話ししよう。楽しいこと・つらいこと、自分のためのお願い・人のためのとりなし、心にうかぶことを何でも神さまにお伝えしよう。神さまはみんなのお祈りを聞いてくださるから。


六月八日(日)使徒二1〜4
 五旬節とは五十日目のお祭りと言うことで、ユダヤでは過ぎ越しの祭りから五十日目。つまりイエスさまが天に帰られてから十日目だった。その日もお弟子さんたちは集まって祈っていた。そこに約束されていた聖霊が来てくださった。そしてそこに集まっていた人たちはイエスさまのことを力強く話し出したんだ。


六月九日(月)使徒二5〜13
 ちょうどユダヤのお祭りの日だったので、世界中から人が集まっていた。でもみんなびっくりした。だってなつかしい自分の国の言葉が聞こえると思ったら、イエスさまのお弟子さんたちが、自分の国の言葉で神さまのことを一生けんめい話していたからだ。


六月十日(火)使徒二14〜21
 この五旬節(ペンテコステとも言うよ)の日に聖霊が来てくださったこのでき事は旧約聖書のヨエル書の中に書いてあることだった。イエスさまを知らないと言ったペテロが勇気をもって、元気に聖書の話をしていた。聖霊は私たちに力をくださる。私たちもイエスさまのことがお話しできるようにしてくださる。


六月十一日(水)使徒二22〜28
 ペテロは集まってきたたくさんの人たちにお話しした。イエスさまはたしかに神からおくられた救い主だったこと、その神の子を十字架につけてしまったこと、けれども神さまはイエスさまをよみがえらせてくださったことだ。


六月十二日(木)使徒二29〜36
 救い主が死んで、でもよみがえることは旧約聖書のダビデもちゃんと言っていて、聖書にそのことが書いてあるとペテロは言った。聖霊に満たされると聖書のみことばが分かるようになってくるんだね。


六月十三日(金)使徒二37〜42
 ああ、自分たちは神の子を十字架につけてしまったんだ・・・そのことが分かった人たちは、悔い改めて、イエスさまを救い主と信じて、バプテスマ(洗礼)を受けた。その日だけで三千人の人たちがバプテスマを受けたんだ。あなたもイエスさまを信じていたらバプテスマのことを教会の先生に聞いてみてください。


六月十四日(土)使徒二43〜47
 急に大きな教会ができた。でもけんかはなかった。これはぼくのだ、私のよ、と言いあらそうこともなかった。かえって、これもみなさんでどうぞ、これもみなさんでどうぞと自分の持ち物をみんなのために使った。そしてみんなが喜んで神さまをさんびしていたから、毎日イエスさまを信じる人がふえていったんだね。