チャレンジ・ダ・バイブル

 心に残るみことばにであったら、忘れないように聖書に書いておくという話もしたね。もう一つ、聖書を読む時のこつをお話ししよう。それは静かに聖書を読むのもいいけれど、声を出して読むのもいいということだ。実は聖書って、二百年くらい前にはほとんどの人はそれをもっていなかった。聖書ってとても高価だったんだ。だからふつうはどうしたかというと、教会に行ってそこで読まれる聖書の言葉を聞きもらさないようによく聞いて、頭の中で何回も思いめぐらした。そして何回もまた口に出して、覚えてしまった。声を出して聖書を読むと、自分の耳でもそれを聞いて、心にそれがひびいてくる。


六月十五日(日)使徒三1〜10
 「美しの門」と呼ばれる美しい門があった。でもそこにいたのは生まれながら歩けない一人の男だった。そこで彼はみんなから同情してもらってお金を集めていた。ペテロとヨハネは「イエスさまの名によって歩きなさい」と言った。彼は歩き出した。イエスさまの名には力がある。


六月十六日(月)使徒三11〜16
 生まれつき歩けなかった人が歩いているというニュースはまたたく間に人々に伝わった。そしてペテロとヨハネのところに集まってきた。ペテロは言った。「イエスさまへの信仰がこの人を強くして歩けるようにしたのだ。十字架にかかりよみがえられたイエスこそいのちの君だ」


六月十七日(火)使徒三17〜26
 ペテロはなお話し続けます。「神さまは旧約聖書に約束された救い主を送ってくださったのだ。イエスさまの十字架さえも旧約聖書にすでに予告されていた。早く悔い改め、自分のしてきた悪いことを神さまにおわびして、罪をぬぐいさっていただきなさい」。


六月十八日(水)使徒四1〜12
 話を聞いていたさいしたちは、いらいらしてきました。だってイエスさまを十字架につけようって言ったのは自分たちだったし、よみがえりなんて信じていなかったからです。この人たちはペテロとヨハネをつかまえました。でも彼らは「イエスさま以外に救いはない」と言いました。


六月十九日(木)使徒四13〜22
 ペテロとヨハネをどうしようかと会議が開かれました。わかっていたのは二人ともせんもんの学校にはいっていないこと、イエスさまといっしょにいたということでした。イエスさまのことをこれ以上話してはいけないとおどかしましたが、ペテロはぜんぜんこわがりませんでした。


六月二十日(金)使徒四23〜31
 ペテロとヨハネが自由の身にされたとき、集まっていたクリスチャンたちはお祈りをしました。そして言いました。「神さま、私たちがおくびょうにならないで、勇気をもってあなたのみことばを語ることができるように助けてください」。神さまは助けてくださいました。


六月二一日(土)使徒四32〜37
 最初のころ、イエスさまを信じた人たちは自分の持ち物をみんなのために使いました。だから物に困っている人は一人もいませんでした。バルナバと言う人は、自分の畑を売って、そのお金を献金しました。みんな献金するのが楽しくてたまらなかったのです。あなたはどうですか。