チャレンジ・ダ・バイブル

 聖書の達人への道・・・そのためにもう一つ大切なのは、聖書のみことばをおぼえることだ。毎週教会でおぼえるあんしょうせいくはもちろんだけれど、毎日読んでいる聖書の中でもこれはいいぞというみことばに出会ったらおぼえてしまおう。何回も読んでおぼえ、書いておぼえよう。書いたものをしおりにして本の間にはさんだり、紙に書いてはっておくのもなかなかいいぞ。そんな手作りのあんしょうせいくのしおりを教会学校の先生にプレゼントしたらきっとなみだを流してよろこぶだろう。でも何よりすばらしいのはみんなが心の中にたくわえたみことばはみんなをあくまから守り、力強い神の子にしていくということなんだ!


六月二二日(日)使徒五1〜11
 アナニヤとサッピラの二人は土地を売って、けん金しました。でも「これで全部です」とうそをつきました。神さまはそれをとても悲しまれました。ごめんなさいと言うチャンスもあったのに、二人はうそをずっとついて死んでしまいました。うそってこわいんだよ。


六月二三日(月)ローマ十二1〜2
 けん金はただお金を神さまにささげるということではない。神さまはお金がなくて困っておられるお方ではないから。それはね。私たちの大切なお金をささげることで、いっしょに自分自身を神さまにささげることなんだ。神さまがほしいのはお金ではなくて私たち自身なんだね。


六月二四日(火)ローマ十二3〜8
 教会にはいろいろな人がいる。そして、それぞれにいろいろな役わりがある。だれも他の人と同じになる必要はない。自分が神さまから求められていることを一生けんめいしていけばいいんだ。そこでえばったり、人をうらやんだりすることはおかしいんだよ。


六月二五日(水)ローマ十二9〜21
 教会はおたがいに愛し合い、そんけいし合う。そしてだれかがほめられたり、よろこんでいたら、いっしょによろこぶ。かなしんでいたらいっしょにかなしむ・・・それが教会なんだね。みんなと教会のなかまとはどうだろうか。だましあったり、けんかしていたらおかしいね。


六月二六日(木)エペソ四1〜6
 私たちは顔も年も性格もちがうけれど、みんな一人の救い主によってその罪をゆるしていただき、みんな一人の神さまを信じている。そして私たちみんなを育て、私たちの内に住んでいてくださるのも同じ主だ。だから私たちは一つなんだね。


六月二七日(金)エペソ四7〜16
 神さまは私たちみんなに「たまもの」(才能・性格・できること・もっているもの)を与えてくださっている。そしてそのたまものはみんなちがう。そしてみんな一人一人にちがうことを願っておられる。でも私たちがそれぞれ神さまにしたがうとふしぎと教会がひとつになり、イエスさまのために動いていくんだ。


六月二八日(土)エペソ四17〜23
 私たちはイエスさまを信じて新しく生まれたのだから、自分の好きほうだいの自分勝手な生き方ではなく、イエスさまに教えていただいて、イエスさまのような生き方をしよう。あくまの言いなりの悪い生き方ではなく、きよい神さまににたきよい心を与えていただこう。