チャレンジ・ダ・バイブル

 新学期が始まって、もう三ヶ月が過ぎようとしている。新しい学年・クラス・先生・学校はどうだろう。みんなが楽しい学校生活を送れるようにお祈りしているからね。聖書はどうだろう。チャレンジは続いているだろうか。一度、くじけてもあきらめるなよ。何回でもやりなおせばいいんだ。あくまはきっとみんなに「まただめだよ。聖書はつまらないんだよ。聖書読んだって、読まなくたって変わらないよ。だいじょうぶだよ」とささやくかも知れない。でもだまされてはいけない。あくまは聖書が大きらいなんだ。そしてみんなが聖書を読み始めると何とかやめさせようとする。聖書を読もう。こんどはあくまの方が逃げていく。


六月二九日(日)使徒五12〜16
 イエスさまを信じる人たちはますますふえていった。神さまがお弟子さんたちを助けてくださったので、いろいろなふしぎなことが起きていった。すごいことがあったら信じるというのではない。信じる人たちのうちに、また信じる人たちをとおしてそんなことが起こっていたんだ。


六月三十日(月)使徒五17〜32
 お弟子さんたちは話すなと言われても話すのをやめなかった。つかまえられてもこわがらなかった。どんなに話したらだめだと言われても、神にしたがっているというという強い思いがあったし、イエスさまがよみがえられたのを本当に知っていたからだまっていられなかったんだ。


七月一日(火)使徒五33〜42
 絶対イエスさまのことは話すなよと言われて出ていった弟子たちだったけれど、ぜんぜんしゅんとしていなかった。落ち込んでもいなかった。そしてまた同じようにイエスさまが救い主・キリストであることをみんなに話し続けたんだね。


七月二日(水)(2)テモテ三1〜9
 パウロはテモテにあてた手紙の中で、苦しい時代が来るだろうと言いました。けれども、それでも人々は神さまに帰って来ないで、ますます悪いことをして、神さまから心がはなれていく。ふつうの人たちだけではなく、クリスチャンの中にもそんな人たちが出てくるというのです。


七月三日(木)(2)テモテ三10〜17
 イエスさまを信じてしんけんに生きていこうとすると、かならずどこかでぶつかります。仲間はずれにされたり、いじめられることもあるかもしれません。でも聖書のことばは私たちを救いにみちびき、神さまのよろこばれるような人につくりかえ続けていきます。


七月四日(金)(2)テモテ四1〜8
 パウロはもうすぐ自分が死ぬことを知っていました。パウロはイエスさまを伝えていたと言って死刑にされます。けれどもそのパウロがこの手紙の最後のところでもう一度、あらたまるようにしてテモテに書きます。それはどんなときにもイエスさまとそのみことばをのべ伝え続けると言うことです。


七月五日(土)(2)テモテ四9〜22
 パウロのまわりには最後までパウロを見捨てずに命がけでパウロを助けた人たちがいました。また、自分の好きなことをやりたい、もっとお金持ちになりたい、悪いこともしたいと、パウロを見捨てていった人たちもいました。パウロはそう言う人たちのことも心配するのでした。