チャレンジ・ダ・バイブル

 旧約聖書を読むのは楽しいかな。少し長いところもあるけれど、夏休み、いつもよりも時間があるはずだ。聖書を一章読むのに君なら何分かかるだろう。声を出して読んだとしても、十分はかからないだろう。みんなの大好きなテレビ番組、十分しか見ちゃだめって言われたら、みんなは大声で抗議するにちがいない。そんなのひどい、ひどすぎるって。
 なのに、私たちは十分聖書を読むのはむずかしかったりする。だいじょうぶ。絶対読める。そして、みんなが聖書を開いて読んでいく時に、神さまは本当に喜んでくださるんだ。


八月十七日(日)出エジプト五1〜23
 モーセとアロンはエジプトの王様の前に行って、イスラエルを自由にして、神様をれいはいできるようにしてほしいと求めます。けれども王様はまったくとりあいません。かえって、イスラエルの人たちにもっときびしくするようになり、こきつかいました。かえって悪いことになってしまったのです。モーセは神様の前でいのったのでした。


八月十八日(月)出エジプト六1〜9
 神様はモーセにわたしはアブラハムやイサク、ヤコブとしたやくそくをおぼえているから、必ずイスラエルをすくうとおっしゃいました。「全能の神」とは何でもできる力のある方ということですが、「主」とは救い主ということです。


八月十九日(火)出エジプト六28〜七13
 モーセはもう一度ゆうきを出してエジプトのパロ王のところに行きます。パロ王はなかなかモーセが伝えた神様の言葉にしたがおうとしません。けれども、パロ王ががんこになればなるほど、エジプトの人たちは神様の大きな力を知ることになりました。


八月二十日(水)出エジプト七14〜25
 イスラエルの民を自由にしないパロ王に十のわざわいが起こります。その第一のわざわいはナイル川の水が血になってのめなくなると言うものでした。ナイル川はエジプトの人たちにとってとても大切なものでした。これはエジプトの神々にたいするさばきでもあったのです。


八月二一日(木)出エジプト七25〜八15
 第二のわざわいはエジプト中がかえるだらけになるということでした。家の中までかえるだらけになって、さすがのパロ王も助けを求めます。でもかえるがいなくなると、やはりイスラエルの人たちを自由にしようとはしませんでした。


八月二二日(金)出エジプト八16〜31
 第三のわざわいはぶよ、第四はあぶでした。ぶよはさされるとかゆくなり、あぶはびょうきを運んだと言われます。けれどもイスラエルの人たちの住んでいた所にはぶよやあぶは来ませんでした。エジプトのまじゅつしたちもこれは神様のわざであると言いました。


八月二三日(土)出エジプト九1〜12
 第五のわざわいはかちくに起こった病気、第六はうみの出るできものでした。それだけ大変なことが次々に起こりましたが、それでもパロはイスラエルの人たちを自由にしませんでした。いじになってしまって、なかなかすなおになれなかったのですね。