チャレンジ・ダ・バイブル

 寒い地方に住んでいるお友だちはもう二学期が始まるころだろうね。他のみんなはいよいよラスト一週間、追い込みだ。今まで勉強にぜんぜん手がつけられなかった人たちも、いいじゃないか。きっとここまで勉強以外のすばらしい経験がたくさんできたにちがいない。遊んでばかりいた人も、いいじゃないか。集中して遊ぶのもいいことだ。
 でも、そろそろ夏休みの宿題を仕上げないといけない。いやだなあ、いやだなあと思うとますます勉強がいやになる。学校に行ける。勉強ができるってすばらしいことなんだ。神さまがみんなに、そんな知恵と力をくださるんだね。


八月二四日(日)出エジプト九13〜35
 第七のわざわいはひょうでした。「ひょう」とは空から氷の固まりがふってくるのです。モーセの語る神様のことばをおそれる人はエジプト人でも、前もってひなんしていましが、神様のことばを気にしない人は大変な目にあいました。畑の大麦もたおれて、だめになりました。


八月二五日(月)出エジプト十1〜29
 第八のわざわいはいなごでした。たくさんのいなごがとんできて、みどりのものを全部食べてしまったのです。第九はくらやみです。ずっと明るくならないでまっ暗やみが続きました。それでもうやっぱりパロ王はイスラエルの人たちを自由にしませんでした。


八月二六日(火)出エジプト十一1〜10
 十番目のわざわいはエジプト中のういご(最初に生まれた男の子)が王様のういごからかちくのういごまでみんな死んでしまうというものでした。けれども神様はイスラエルの人たちを守ってくださいました。


八月二七日(水)出エジプト十二1〜13
 神様はイスラエルの人たちに小羊をころして、その血を家の入り口の二本の柱ととびらの上のかもいにぬるようにとおっしました。わざわいは、血がぬってあるイスラエルの人たちの家を通りすぎて行きました。このことはちょうど、イエス様を信じる人が、十字架の血によってすくわれるのといっしょですね。


八月二八日(木)出エジプト十二14〜20
 神様は、毎年、神様が自分たちを救ってくださった、このことをきねんして、過越の祭を行うようにとおっしゃいました。今で言うと三月の終わりから四月くらいのできごとです。そしてイエス様が十字架につけられたのも、ちょうど過越の祭の時のことでした。


八月二九日(金)出エジプト十二21〜28
 イスラエルでは毎年、小羊をころして、過越の祭をしました。神様が自分たちを救ってくださったことを忘れないためでした。教会では小羊はもうころしません。けれども小羊ではない、私たちのつみをおって十字架で死んでくださったイエス様をおぼえるために「せいさんしき」をします。


八月三十日(土)出エジプト十二29〜42
 エジプト中のういごが死んだ、その夜、イスラエルの人たちはついに自由にされて、追い立てられるようにしてエジプトの国を出ていきました。神様はそんなイスラエルの民を守っていてくださいました。