チャレンジ・ダ・バイブル

 もし君がイエス様を自分の罪をゆるしてくださる救い主と信じたのに、また失敗してしまったら、神さまにそのことをまたおわびして、ゆるしていただこう。
 でも知っていてほしい。イエス様を信じて歩み出しても、やっぱり失敗してしまうことはある。でも、それで君が神の子でなくなってしまうのではない。君はやっぱり神の子だ。罪をおわびして、イエス様を信じた時に、君は新しく生まれたからだ。小さい子どもはいろいろ分からないことがある。失敗もある。みんなを困らせたり、おこられることもある。でもどんなに悪さをしても、それでその家の子どもでなくなってしまうわけではない。安心してほしい。そしてイエス様にしたがって行こう!


九月七日(日)出エジプト十五22〜27
 三日、水のないところを歩いたイスラエルの人たちはモーセにもんくを言った。「水がないじゃないか」。イスラエルの人たちは神様がちゃんと水のことも考えていてくださることを信じられなかったんだね。


九月八日(月)ピリピ二12〜18
 私たちは何かがあるとすぐにつぶやいてしまう。「何でこうなんだ」「何でこうならないんだ」。神様をうたがってしまう。神様は分かっていないともんくを言う。でも、それはすごくざんねんなことだ。だって神様はちゃんと私たちのことを心配していてくださるからだね。


九月九日(火)ピリピ二19〜30
 何で文句がつぎからつぎへと、たくさん出てきてしまうかというと、それは自分のことばかり考えているからだ。イエス様のことをいつも考えている人はもんくは出てこない。かえって自分のまわりにいる人たちのことが心配になってくる。


九月十日(水)ピリピ三1〜11
 パウロもイエス様を知るまでは大事なものがいっぱいあった。だれにもまけないとじまんしていたことがいっぱいあった。でもイエス様を知ってしまったら、今まで大切にしてきたものがとても小さく見えてきた。イエス様を知らせていただいた喜びがあまりにも大きかったからだね。


九月十一日(木)ピリピ三12〜21
 パウロにはのぞみがありました。それはイエス様によろこんでいただけるように神様のために一生けんめい生きること、そしてやがて神様から栄光の体をいただいて天国に住むことです。地上のことしか考えていない人たちのことを思うとパウロはかなしくてなりませんでした。


九月十二日(金)ピリピ四1〜9
 「思いわずらう」とは心配することです。イエス様を信じている人は心配しなくていいのです。いつもかんしゃから始めます。「神様ありがとう」と祈ります。そしてえんりょなく神様におねがいします。どんなねがいでも神様は聞いてくださるからです。


九月十三日(土)ピリピ四10〜23
 私たちの生きていく中ではものがたくさんある時も、少ない時もあるでしょう。でもどんな中でも満足して生きていくことができるのです。私たちがどんな中にいる時にも、私たちを強くすることのできる神様がいっしょにいてくださるからです。