チャレンジ・ダ・バイブル

 キャンプで、教会で、イエス様を信じて救われて、神の子になったみなさん。(このことがよく分からない人はぜひ教会の先生にきいてください。きっとよろこんで教えてくれるよ)。神さまはみんなをよろこんでいてくださいます。でも、同時にイエス様を信じて神の子になった人は、神の子として成長していかなければいけません。赤ちゃんが生まれるのはうれしいことです。でも赤ちゃんがぜんぜん大きくならなかったらとても心配です。私たちもいつまでも神の子の赤ちゃんではいけません。聖書を読んだり、お祈りをしたり、教会に来る中で、私たちは神の子としても成長していくのです。神さまが成長させてくださるのです。


九月二一日(日)出エジプト十七8〜16
 イスラエルの人たちをアマレクの人たちがおそってきて、たたかいが起こりました。たたかいなんてしたこともなかったイスラエルの人たちでしたが、モーセがおいのりしていてくれたのでかつことができました。おいのりには力があります。


九月二二日(月)出エジプト十八1〜12
 モーセはひさしぶりに家ぞくと会うことができました。しゅうと(おくさんのお父さん)のエテロもとてもよろこんで、みんなでいっしょに神様をよろこびました。家ぞくで神様をさんびできたらすてきですね。


九月二三日(火)出エジプト十八13〜27
 モーセは毎日毎日、一人でおおいそがしでした。その様子見ていたエテロは「何でも一人でしていたら大変だよ。みんなでしないと」とアドバイスをしました。モーセはエテロの意見を受けいれました。教会もまたみんなで仕事を分け合って、助け合えるといいですね。みんなのできることはなんでしょう?


九月二四日(水)1テサロニケ五16〜22
 「たえずいのる」とはいつも目をとじて、すわっておいのりするということではありません。短くてもおいのりの時間を持つのはもちろんですが、いつでも神様の助けをもとめながら、神様にすがって、神様の前に、神様とともに生きると言うことなのです。


九月二五日(木)エペソ六10〜20
 私たちをねらってこうげきしてくる悪まにかつためには神様から力をいただかなければいけません。パウロはいつも神様においのりし、また自分のためにもおいのりしていてほしいとエペソ教会の人たちにおねがいしました。みんなも教会の先生や日曜学校の先生たちのためにおいのりしようね。


九月二六日(金)コロサイ四2〜6
 おいのりをするときにはかんしゃすることをわすれないようにしましょう。神様はいつも私たちのために多くのおめぐみをそなえていてくださるからです。そしてパウロはコロサイ教会の人たちにもおいのりをおねがいしています。


九月二七日(土)ヨハネ十六23〜33
 神様は私たちが「イエス様の名によって」おいのりする時に、聞いてくださいます。私たちはなやむこともありますけれど、おいのりしながら悪まに向かっていけばまけることはありません。イエス様はもう悪まに勝ってくださったからです。