チャレンジ・ダ・バイブル

 勉強の秋です。子どものころしっかり勉強しておくことはとても大切なことです。もちろん勉強ばかりではなく、体を動かしたり、友だちと遊んだりすることも大切です。でも勉強することも忘れないでください。いやなことは後回し・・・その内、忘れちゃったではこまります。せかいには勉強したくてもできないお友だちがたくさんいます。みんなが学校があって、先生がいて、勉強できるのはすばらしいことなのです。不得意なこと、がんばっても分からないこと苦手なこともあるでしょう。けれどもなまけちゃだめですよ。感謝してチャレンジしていきましょう。


十月二六日(日)民数記二十1〜13
 イスラエルの人たちが神様が与えてくださっているめぐみではなく、今自分にないものを数えてもんくを言いました。この時はさすがのモーセもいらいらしていたのでしょう。岩に命じなさいと言われていたのに、いやみを言って、おまけに言われていないのに岩を二回たたきました。神様はモーセをしかられました。


十月二七日(月)民数記二十14〜21
 エドムというのはイスラエルのしんせきの民族で、エサウの子そんでした。神様はイスラエルの人たちがエドムの人たちと戦うのをおゆるしになりませんでした。モーセとイスラエルの人たちは遠回りをしました。神様はエサウの子そんも愛しておられたからです。


十月二八日(火)民数記二十22〜29
 モーセのお兄さんのアロンは神様のやくそくの地に入ることはできませんでした。メリバの水のところでモーセといっしょに神様がよろこばれないことをしたからです。けれども神様はアロンの子どものエレアザルをまたしゅくふくしてくださいました。


十月二九日(水)民数記二一1〜9
 イスラエルの人たちはまたもんくを言いました。そして神様がくださったマナさえ、こんな食べ物もういやですと言います。火のへびが出てきてイスラエルの人たちをかみました。でもさおにかけられた青銅のへびを見た人は助かったのです。


十月三十日(木)詩篇一〇六32〜33
 メリバの水のところでモーセはイスラエルの人たちによけいなこと、つまらないことを言いました。モーセは神様にしかられます。ちょうしにのって悪いこと、よけいなことを言わないように神様に守っていただこう。


十月三一日(金)ヤコブ三1〜12
 しゃべるために使う舌は時々、かてに動いてお父さん・お母さんや友だち、兄弟に悪いことを言います。言ってしまってから、あっ、しまったと、こうかいしたことあるでしょう。いつも私たちの舌が神様をたたえ、かんしゃする言葉、あたたかい言葉をしゃべれるようにおいのりしよう。


十一月一日(土)民数記二七12〜23
 モーセはメリバの水で神様にしたがわなかったので、やくそくの地には入れませんでした。しかし神様はイスラエルの人たちのためにちゃんとヨシュアという人をじゅんびしていてくださいました。モーセはヨシュアのためにおいのりしました。