チャレンジ・ダ・バイブル

 さあ、今年も最後の日曜日になりました。みんな今年も本当によくがんばったね。教会の先生たちもみんなのことを本当によろこんでいましたが、だれよりもみんなのことをよろこんでくださっていたのは神様です。神様はみんながイエス様をしんじ、毎週教会に来て、れいはいを守り、また聖書をよむことをよろこんでくださる。うーん。今年はちょっとだめだったなあと言う人は神様にもう一度おいのりし、力をいただき、神様にすがって進もうね。  さあ、この一年も神様に守っていただいたことを心からかんしゃして、また、来年どんなにすごいことをまたみんなのために神様が用意していてくださるかワクワクしながら、新しい年をむかえよう!


十二月二八日(日)ルカ二41〜52
 ここにはイエス様が一二才の時のことが書いてあります。イエス様はエルサレムのしんでんに行けたのでうれしくて、ずっとそこに残っていました。ここが「私のお父さんの家」とイエス様はおっしゃいました。


十二月二九日(月)マルコ十一15〜19
 イエス様が大きくなってしんでんに行かれた時、そこにはしょうばいをしている人たちがたくさんいました。そこでお金を取りかえたり、ささげものにするはとを売ってお金をもうけていたのです。イエス様はここは祈りの家だから、お金もうけのことしか考えていない人は出て行けと追いはらわれたのです。


十二月三十日(火)エペソ二11〜22
 教会にはいろいろな人がいます。中には合う人・合わない人もいるでしょう。けれどもみんながキリストによって一つ、神の家族にされています。この教会は本当に神様のすまいです。


十二月三一日(水)エペソ三1〜21
 私たちは一人一人がイエス様をしんじてすくわれます。けれども、イエス様をしんじて生きると言うことはひとりぼっちで生きることではありません。ユダヤ人も、そうでない人も、私たちはいっしょにイエス様のすばらしさを知り、神様のあいの中を歩んでいくのです。


一月一日(木)詩篇十六1〜11
 あけましておめでとうございます。新しい年も主が私の前に行ってくださいます。私たちはいつもこのお方の後ろについてしたがっていきます。神様を前において生きる時に、私たちは動かされることなく、安心とよろこびの中を生きることができるのです。


一月二日(金)詩篇二四1〜10
 私たちの目に見えるすべてのものは神様のものです。私たちはこの新しい年も栄光の王をよろこんで心におむかえし、したがって行きたいと思います。栄光の王である神様、私の心に来てくださいとお祈りしようではありませんか。


一月三日(土)詩篇二七1〜14
 このしへんを書いた人にはいろいろな苦しい、つらい、大変なことがあったようです。そしてこの人には一つの願いがありました。それはこの苦しいことを何とかしてくださいというより、主の家に住んで、神様のすばらしいことをもっともっと知りたいと言うことでした。