チャレンジ・ダ・バイブル
今日は一年の最初の日曜日でした。「神さま、今年もあなたを信じていきます。今年もあなたをさんびしていきます。今年もあなたについていきます。今年も私といっしょにいて、私を守ってください」。そんなおいのりの心で教会学校・れいはいに出ることができたでしょうか。 一月四日(日) マタイ 三章1〜6節 ヨハネが「もうすぐ救い主が来られるからじゅんびしなさい」と言ったとき、おおぜいの人たちがヨハネのところに来て、自分のやってきた悪いことをおわびして、バプテスマを受け、水の中に入って、これからは新しく生きていくという決心をしました。 一月五日(月) マタイ 三章7〜12節 たくさんの人たちが「ごめんなさい」とおわびして、バプテスマを受けました。でもヨハネは「ごめんなさい」だけではだめだ、ごめんなさいというならあなたの生き方を変えなさいと言いました。あやまればいくら悪いことをしてもいいということではないからです。 一月六日(火) マタイ 三章13〜17節 イエスさまは何も悪いことはしていませんでしたから、バプテスマを受けるひつようはありませんでした。でもイエスさまはつみ人の一人になってくださったのです。天からの声と神のみたまはイエスさまが神さまから立てられた救い主であることのたしかなしるしでした。 一月七日(水) マルコ一章1〜8節 マタイに書かれていたのと同じできごとをマルコも書いています。バプテスマのヨハネは救い主が来られるからじゅんびしなさいといいました。あなたはじゅんびができていますか。あなたも自分のつみを神さまにおわびしましょう。 一月八日(木) マルコ 一章9〜15節 イエスさまは神の子、そして、神のみ心を行うしもべでした。「時が満ちた」とは、さあ、つみをおわびして、旧約聖書にやくそくされている神さまの救いを受け入れるのは今だと言う意味です。もう、神さまの救いを待たなくてもいいのです。イエスさまが来られたからです。 一月九日(金) ヨハネ 一章19〜28節 ヨハネは自分のことを「荒野で呼ばわる者の声」と言いました。「声」はいろいろ私たちが話すことばを持ち運びますが、相手にそのことばをとどけるときえていきます。ヨハネはそれと同じように、自分はイエスさまをしょうかいできさえしたら、それできえてもいいと思っていたのです。 一月十日(土) ヨハネ 一章29〜34節 ヨハネがイエスさまにバプテスマをさずけたときにみたまがはとのように下るのを見ました。そしてヨハネはイエスさまこそが私たちを罪から救ってくださる神の子だと言いました。あなたもしんじてください。 |