チャレンジ・ダ・バイブル

 神さまは私たちのことをいつもあいしていてくださいます。私たちは元気な時・弱っている時、ちょうしのいい時・わるい時、わらっている時・ないている時・おこっている時、いろいろな時があります。私たちはすぐに変わってしまいます。けれども、神さまは変わりません。変わらないでいつも私たちのことをあいしていてくださるのです。私たちのことを見すてないでいつもいっしょにいてくださり、私たちをはげましてくださいます。私たちが助けをもとめる時にいつでも助けてくださるお方です。


一月十八日(日) マルコ 一章21〜28節
 イエスさまが会堂でお話をしておられた時、けがれた霊にとりつかれた人がイエスさまのお話のじゃまをしました。「けがれた霊」はサタンの手下です。この人はあくまに心をうばわれていまっていました。自分では自分をどうすることもできませんでした。けれども、イエスさまはこの人をあわれんでくださって、この人をすくってくださいました。


一月十九日(月) マルコ 一章29〜34節
 「しゅうとめ」というのはここではペテロのおくさんのお母さんのことです。この人がずっと熱が出て苦しんでいました。イエスさまはこのペテロのしゅとめに近づいて、手をとってなおしてくださいました。熱が下がって元気になったこの人はすぐにイエスさまたちにごちそうを作ってかんしゃしました。


一月二十日(火) マルコ 一章35〜39節
 イエスさまがつぎつぎに病気の人をなおしたり、あくまを追い出してくださったので、イエスさまはその町の人気者でした。でもイエスさまは人気者になるためにこの世に来られたわけではありません。イエスさまはほかの町にも神さまのお話をするために出発しました。


一月二一日(水) マルコ 一章40〜45節
 この「重いひふ病(らい病・ツァーラート)」になると神さまからすてられ、のろわれていると考えられていました。けれどもイエスさまはこの人にさわってきよめてくださいました。


一月二二日(木) マタイ 七章7〜12節
 イエスさまは「求めさない」とおっしゃいました。神さまは求め続ける人にかならずこたえてくださいます。神さまは私たちの天のお父さんで、私たちのことを愛していてくださるからです。


一月二三日(金) マタイ 七章13〜23節
 イエスさまは本物とにせ物があること、そして命の道・本物を選ぶようにと教えられました。本物かにせ物かは人気で決まるのではありません。ことばではなく、その人の生き方によって決まるのです。教会に来ているだけではなく、神さまをしんじて、神さまのよろこばれる生き方をすることです。


一月二四日(土) マタイ 七章24〜29節
 神さまのことばをしっかり聞くことはとても大切なことです。けれども聞いた神さまのおことばにしたがうことはもっと大切なことです。神さまのみことばによって生きている人は、どんな大変な中でもたおれてしまうことはありません。みことばがささえてくださるからです。