チャレンジ・ダ・バイブル

 私たちが生きていく中で起こってくるいろいろな悲しいこと・苦しいこと・・・神さまはなぜ、そのようなことをゆるしておられるのでしょうか。また、なぜ神さまは私たちがおいのりをする時に、パッと私たちの願うようにしてくださらないのでしょうか。
 聖書は、神さまはそんな中でも私たちをあいし、私たちのそばにいてくださって、特別ななぐさめをあたえてくださるとやくそくしています。そして神さまになぐさめられた人は今度は自分のまわりにいて、かなしい気持ちでいる人たちのそばに行って、そんな人たちをなぐさめることができるような人にしていただけるのです。


三月七日(日) マルコ 九章1〜13節
 イエスさまの体が白くかがやいて、エリヤやモーセと話をしていました。でしたちはびっくりし、またおそれました。後で見回すとイエスさましか見えませんでした。でもそれでいいのです。あなたの心にはイエスさまが見えていますか。


三月八日(月) マルコ 九章14〜29節
 イエスさまと三人のでしたちが山から下りてくると、大変なさわぎが起きていました。お父さんが子どもを連れてきて、わるいれいからこの子を助けてほしいとお願いしていたのです。イエスさまはその子を助けて、信じることの大切さとお祈りの大切さを教えられました。


三月九日(火) マルコ 九章33〜37節
 でしたちはみんな自分が一番えらいと思っていたのでしょう。一番になってもいいのです。でもイエスさまは一番になりたかったら、みんなを助けてあげる、みんなのためによろこんでしてあげる人になりなさいとおっしゃいました。あなたも一番になってください。


三月十日(水) マルコ 十章13〜16節
 イエスさまは子どもたちをよろこんで受け入れ、手をおいておいのりしてくいださいました。小さな子どもはお父さんやお母さんの言うことは何でもしんじます。そんな子どもたちのようにすなおにしんじる人が天国にはいれるのです。


三月十一日(木) マルコ 十章17〜31節
 お金もちだったこの人はお金を取るか神の国を取るかと言われた時に、神の国を取ることができませんでした。お金がじゃまをしたのです。お金がどんなにあっても天国には行けません。じゃまするものがいろいろあります。でも神さまは私たちを天国に入れるようにしてくださいます。


三月十二日(金) マルコ 十章35〜45節
 ヤコブとヨハネはイエスさまの国で右と左にすわってだいじんになりたいと思いました。でもイエスさまは自分はみんなにつかえるため、命までもあたえるために来たのだとおっしゃいました。イエスさまはあなたにもつかえる人、あたえる人になりなさいとおっしゃいます。


三月十三日(土) マルコ 十章46〜52節
 バルテマイはひっしでさけび続けました。イエスさまにどうしても目をあけてもらいたい。イエスさまならきっとできる、そう信じていたからです。イエスさまはバルテマイのしんこうをよろこんで、目が見えるようにしてくださいました。