チャレンジ・ダ・バイブル

 神さまが私たちのおいのりの通りにしてくださったり、そうでなかったりするとしたら、私たちはおいのりするかいがあるのでしょうか。
 おいのりはただお願いするというだけでなく、神さまとお話することです。ですから、本当のお父さんにお話しするように、自分のことばで神さまとお話ししたらいいのです。
 一日あったことをお話ししたり、それからありがとうとかんしゃしたり、ごめんなさいとおわびしたり、何かをおねがいしたり・・・。
 みんなのお家の人たちだって、みんなが何か買ってほしい時、おねがいがある時しかしゃべらなかったらきっとさびしいと思いませんか?


三月十四日(日) マルコ 十一章1〜11節
 イエスさまがエルサレムのみやこに入って行かれた時に、みんなは王さまのようにイエスさまをむかえました。王さまはよく自分の強さを知らせるためにかっこいい馬にのりました。でもイエスさまはろばにのられました。イエスさまが「やさしい平和の王さま」であるしるしでした。


三月十五日(月) マルコ 十一章15〜19節
 イエスさまは神さまをれいはいする場所でお金もうけをしている人たちをごらんになって、とてもおこられ、その人たちを追い出されました。それは神さまの家は神さまにお祈りする場所だと聖書に書いてあるからです。みなさんは教会は何をするところだと思いますか?


三月十六日(火) マルコ 十二章1〜12節
 のうふたちは主人が送ったしもべたちをひどい目にあわせ、そして主人のむすこもころしてしまいました。イスラエルの人たちは神さまがよげん者を送られても言うことを聞かず、神の子のイエスさまもころそうとしていたのです。あなたはぜひ、イエスさまを受け入れてください。


三月十七日(水) マルコ 十二章13〜17節
 カイザルはローマの王さまでした。ユダヤの人たちはいやでもみんなローマにぜい金をはらわなければなりませんでした。イエスさまは国に対しても、神さまに対してもきちんと正しいことをするように教えられました。


三月十八日(木) マルコ 十二章18〜27節
 神さまはモーセに「私はアブラハムの神・・・だった」ではなく「神である」とおっしゃいました。モーセの時代にはアブラハムたちはとっくにみんなしんでいます。でも神さまは「今も私はこの人たちの神なのだ」とおっしゃったのです。みんな天国で生きているからです。


三月十九日(金) マルコ 十二章28〜34節
 イエスさまは旧約聖書で一番大事なのは神さまを愛することと、あなたのすぐそばにいる人をあいすることだとおっしゃいました。あなたは神さまをあいしていますか。どれだけあいしていますか。あなたのすぐそばにいる人をあいしていますか。どれくらいあいしていますか。


三月二十日(土) マルコ 十二章38〜44節
 イエスさまは人の前にかっこよく見せることばかりを考えていると聖書の学者たちをおこり、またたったレプタ二つでもせいいっぱいのものを心からささげた女の人をおほめになりました。イエスさまはあなたのことはどうおっしゃるでしょうか。