チャレンジ・ダ・バイブル

 この三月に学校をそつぎょうしようとしているみなさん。そつぎょうおめでとう!みんな一人一人にくんしょうをあげたい気持ちです。でもそつぎょう式はただの「おわりの日」ではありません。それは新しい次の一歩のための出発点です。ますます大きなゆめをもって進んでください。そして知っていてください。イエスさまを信じるということにはそつぎょう式はありません。中学になっても高校になっても、大人になっても、おじいちゃん・おばあちゃんになって、天国に行くまで、私たちはイエスさまを信じ続けていくのです。そつぎょうおめでとう!そしてこれからもよろしく。


三月二一日(日) マルコ 十三章1〜13節
 エルサレムのしんでんはそれはすばらしいものだったと言います。でもイエスさまはそのすばらしいしんでんもこわれてしまうぞとおっしゃいました。そして本当にイエスさまがこのことをおっしゃってから四十年後にしんでんはローマのぐんたいにこわされてしまうのです。


三月二二日(月) マルコ 十三章14〜23節
 イエスさまはしんでんがこわされる日、そしてこの世が終わる時にはどんなことが起きるかをお話になりました。じしんやせんそうが起こり、イエスさまのにせ者が出てくると言うのです。そしてイエスさまのおっしゃったとおりになってきています。


三月二三日(火) マルコ 十三章24〜31節
 「人の子」とはイエスさまのことです。イエスさまは最後の時に、もう一度、雲にのって帰って来られます。その時が近づいています。どんなに見事ですばらしくても世の中のものはほろんでいくでしょう。けれども変わらないものがあります。それはイエスさまのみことばです。


三月二四日(水) マルコ 十三章32〜37節
 イエスさまが帰ってこられる日がいつかはわかりません。けれども、その日はたしかに近づいています。目をさましていなさいとは、いつイエスさまが帰って来られてもよろこんでおむかえできるように、心のじゅんびをしておくということです。あなたはじゅんびができていますか。


三月二五日(木) マルコ 十四章1〜9節
 三百デナリ以上もする香油を一人の女の人がイエスさまに注ぎかけました。一年分のきゅうりょうと同じくらいたかいものです。みんながもったいないといいました。でもこのおんなの人はもったいないとは思いませんでした。イエスさまはもっともっととうとい方だからです。


三月二六日(金) マルコ 十四章10〜21節
 すぎこしの祭りという大切なお祭りが近づいていました。これはむかし神さまがエジプトからイスラエルの人たちをすくってくださったことをおぼえるお祭りでした。けれども、あくまに心をうばわれて、ユダはイエス様をうらぎろうとしていました。


三月二七日(土) マルコ 十四章22〜31節
 イエスさまはパンとぶどう酒をでしたちにあたえられました。それは十字架につけられるイエスさまの体と、その血とを忘れないためでした。でしたちはイエスさまについていけませんでした。でもそんなでしたちや私たちを救うためにイエスさまは十字架でしんでくださったのです。