チャレンジ・ダ・バイブル

 いよいよ新学期ですね。新しい学校に入るみなさん、おめでとう! 一つずつ学年が進んで、みんな新しい気持ちでスタートしようとしていることでしょうね。たまに新学期を区切りに教会に来るのを止めてしまう人もいますが、みんなますますがんばろうね。教会を休んでいる人がいたら、さそってあげよう。
 さて今週は受難週と言って、教会ではとても大切な時です。今週の金曜日はイエス様が私たちのために十字架で死んでくださったことを記念する時だからです。私たちは、私たちを罪から救うためにイエス様がどんなに苦しんでくださったかを思い、神様に感謝するのです。


四月四日(日)マルコ十五16〜24
 みんながイエス様をばかにして、重い十字架を負わせました。でも、夜もねていなかったイエス様はつかれてそれが運べなくなりました。クレネ人シモンがむりやりその十字架を運ばされました。いやだったでしょうね。でも後で、シモンもイエス様を信じただろうと言われています。


四月五日(月)マルコ十五25〜32
「他人を救ったが自分を救うことができない」と人々は言いました。イエス様は十字架からおりようと思ったらおりられました。でも、そうしたら、私たちが罪から救われる道はなくなってしまいます。私たちのためにイエス様は十字架の上で自分から苦しみを受けてくださったのです。


四月六日(火)マルコ十五33〜41
「どうして、わたしをお見捨てになるのですか」とイエス様は叫ばれました。私たちも、神様から捨てられてしまったように感じることがあるかもしれません。でも、神様は捨てておられません。本当は私たちが捨てられなければならなかったのに、イエス様がみがわりに捨てられてくださったからです。


四月七日(水)ヨハネ十九28〜30
「すべてが終わった(完了した)」、私たちの救いのために必要なことは全部なしとげました、とイエス様はおっしゃっいました。私たちがするのは罪をおわびし、イエス様の救いを感謝して信じるだけです。


四月八日(木)ヨハネ十九31〜37
 ローマの兵隊がイエス様のわき腹をやりで突きさしました。血と水が流れ出ました。イエス様は本当に死なれました。イエス様が私たちのみがわりに死んでくださることによって、私たちが生きるためです。


四月九日(金)マルコ十五42〜47
 アリマタヤのヨセフはお弟子さんの一人ではありませんでしたが、イエス様を信じていました。だからヨセフは勇気を出して、イエス様の体を引き取り、おはかにおさめました。おはかは横に掘った大きな穴のようなところで、入り口には大きな石が置かれました。


四月十日(土)イザヤ五三章
 イザヤはイエス様が生まれる七百年前にかつやくした人です。でもイザヤはやがてこられる救い主がその苦しみによって私たちの罪をみがわりに負ってくださることを知っていました。そしてイザヤが言っていた通りのことが、イエス様におこったのでした。そしてイエス様の苦しみによって私たちは救われるのです。