チャレンジ・ダ・バイブル

 イースターおめでとう! 今日は十字架で私たちの罪のために死んでくださったイエス・キリストが死を打ちやぶってよみがえってくださった日です。どんなに小さな子どもでも、またどんなに元気なお兄さん、きれいなお姉さんでも、やがていつかは死ななければなりません。けれども、それをこわがらなくてもだいじょうぶです。確かに、しばらく自分の好きな人たちと会えなくなるのはさびしいことかもしれません。でもイエス様は私たちが死ぬときも私たちと一緒にいてくださるし、それはもっとイエス様に近いところに行くと言うことだからです。そして私たちは死んでも、イエス様と同じようにまたよみがえるのです。


四月十一日(日)マルコ十六1〜8
 おはかの前の大きな石はもうころがされていました。どんな大きな石も、死もイエス様を閉じこめておくことはできませんでした。天使は「弟子たちとペテロに」このニュースを伝えなさいと言いました。ペテロはうれしかったでしょうね。


四月十二日(月)ルカ二四1〜12
 女の人たちはイエス様のために何とかしてあげたいと思っていました。でも女たちがさがしていたのは死体のイエス様でした。ですからお墓にお体がなかったので、びっくりしたでしょう。でも、イエス様はおはかにはおられませんでした。よみがえって、生きておられたからです。


四月十三日(火)マルコ十六9〜13
 マグダラのマリヤは悪まにとりつかれてとても有名な人でした。けれども、イエス様によって助けていただいて、イエス様の十字架にも、おはかにもついてきました。そしてイエス様はマリヤに自分をお示しになりました。マリヤはうれしかったでしょうね。


四月十四日(水)ヨハネ十一1〜16
 ラザロは重い病気になって死んでしまいました。「死」というのは私たちに大きな悲しみを与えます。死んでしまったら、いっしょにお話しすることも遊ぶこともできないからです。でもイエス様は死よりも強いお方です。


四月十五日(木)ヨハネ十一17〜27
 イエス様はマルタに「私はよみがえりであり、命である」、だから私を信じなさいとおっしゃってラザロをはげましてくださいました。イエス様にこそ命があり、イエス様は私たちを生かしてくださるのです。


四月十六日(金)ヨハネ十一28〜37
 マリヤはラザロが死んでしまったとき、悲しくて悲しくてなみだが止まりませんでした。そんなマリヤの悲しい気持ちもイエス様は分かってくださいました。イエス様はマリヤといっしょに泣いてくださったのです。


四月十七日(土)ヨハネ十一38〜44
 もうラザロは死んで四日もたってくさりはじめていました。けれども、イエス様は石をどけなさいとおっしゃいました。イエス様は死んだ人も生き返らせる力があったからです。「ラザロよ、出てきなさい」と言われてもラザロは死んでいるのですから聞こえないはずです。けれども、イエス様の言葉が語られた時、その通りのことが起こりました。