チャレンジ・ダ・バイブル
今週はスタートしたばかりの教会で最初に殉教(イエス様を信じていたために殺されること)したステパノという人のことをみんなで読むよ。ステパノってどんな人だったのか、どんな話をしていて、みんなに何を伝えたかったのか、よく考えてみよう。何で、みんなは、ステパノの話を聞いて、こんなやつなんて生かしてはおけないって怒っちゃったんだろう。 六月六日(日)使徒六1〜7 教会の中で、イスラエルにずっと住んでヘブル語を話すユダヤ人と、イスラエルの外に住んでいつもはギリシャ語を話していたユダヤ人の間に問題が起こってきました。十二使徒たちは七人の人を選んで、教会の中のこまごまとした仕事をしてもらうことにしました。ステパノもその一人でした。そして、ますます多くの人たちがイエス様を信じました。 六月七日(月)使徒六8〜15 ステパノはイエス様のことを一生けんめいお話しし、また神様の力によって奇跡を行いました。イエス様を信じない人たちは、そんなステパノが憎たらしくてたまりません。ステパノをつかまえて裁判にかけたのです。でもステパノは怒ったり、泣いたりしませんでした。「天使」みたいでした。 六月八日(火)使徒七1〜16 ステパノは自分たちの先祖のアブラハムのこと、そしてヨセフの働きで先祖たちがエジプトに住むようになったことをみんなに思い起こさせました。神様は私たちがどこにいても私たちに語り、また私たちのお祈りを聞いてくださることを知ってほしかったのです。 六月九日(水)使徒七17〜29 イスラエルの人々はエジプトでどれいにされてしまいました。モーセは何とかみんなを助けたいと思ったのでしょう。けれども、神様のお役に立つ人になるために、モーセにはさらに四十年が必要でした。 六月十日(木)使徒七30〜43 神様がモーセをイスラエルの人たちを助けるためにお用いになろうとしたのは、モーセが何歳の時だったでしょうか。神様はその大きな力で本当にイスラエルの人たちを救ってくださいました。でもイスラエルの人たちはすぐにうその神様をおがむようになってしまいました。 六月十一日(金)使徒七44〜53 モーセの時代に神様を礼拝をしたのはりっぱな神殿ではなく、テントのような「幕屋」でした。神殿を大事にする、神様のきまりである律法を大事にすると言いながら、心が神様からはなれてイエス様を信じようとしない人々にステパノはこのままではいけないと言ったのです。 六月十二日(土)使徒七54〜60 ステパノの話を聞いていた人たちはすごく怒りました。そしてステパノは絶対死刑にしないといけないと石を投げつけました。ステパノは死んでしまいました。でも死ぬときにもステパノは石を投げている人たちのためにお祈りしました。 |