チャレンジ・ダ・バイブル

 使徒十八22でアンテオケに帰ったパウロは十八23から三回目の伝道旅行に出かけました。今までに行った町々の教会のことが心配でしたし、まだまだたずねていない町がたくさんあって、イエス様を知らない人たちがたくさんいることを知っていったからです。
 世界には聖書のこともイエス様のことも十字架の本当の意味も知らない人たちがたくさんいます。そういうお友だちのためにもお祈りしよう。みんなの中にもパウロと同じように世界に出て行って、イエス様のことを教えてあげる人はいないだろうか。


八月一日(日)使徒十九1〜10
 パウロの三回目の伝道旅行で一番長く時間を使ったのはエペソという町でした。ここは小アジアの中心的な町で、たくさんの人たちが住んでいただけでなく、毎年多くの人たちがこの町にやってきました。この町の人たちも次々にイエス様を信じてバプテスマ(洗礼)を受けました。パウロは一人でも多くの人たちにイエス様のことを伝えたかったのです。


八月二日(月)使徒一九11〜20
 エペソには呪文を使ったり、悪魔にお祈りしたりして、自分の願いをかなえようとしたり、人にのろいをかけたりするような魔術をする人たちがたくさんいました。神様は魔術はおきらいです。そのことを知った人たちは魔術の本を捨てました。みんなの部屋には神様のおきらいな本はないだろうか。


八月三日(火)使徒一九21〜41
 エペソにはアルテミスという偶像の女神の大きな神殿がありました。パウロの話をみんなが聞き、イエス様を信じるようになって、アルテミス神殿で商売をしていた人たちが困るほどでした。でも神様はパウロをまた次の町に送り出そうとしておられました。


八月四日(水)2テモテ四1〜8
 パウロは御言を伝えたためにつかまっていよいよ殺される、その前に若いテモテに、たといみんなが聞いてくれなくても、ばかにされても、反対を受けても、どんな時にも御言を伝え続けるようにと言いました。


八月五日(木)詩篇一二六1〜6
 御言を伝えるとは種をまくようなものです。どんなに面倒でも、つらくても、みんなが聞いてくれないように思えても、あきらめないで御言をまき(伝え)続けましょう。必ず種から芽が出て、花が咲き、実がなるように、御言を信じて救われる人がおこされるでしょう。


八月六日(金)ローマ一8〜17
 パウロはそのころ世界の中心だったローマにも行ってイエス様のことを宣べ伝えたいと願っていました。どんな国の人でも、誰でもイエス様を信じたら救われるということを知っていたからです。


八月七日(土)1テモテ一12〜17
 パウロは昔はイエス様も教会も大きらいでした。そしてイエス様を信じている人を捕まえて牢屋に入れていました。だから後でパウロがイエス様を信じた時、パウロは自分を「罪人のかしら」と言いました。そして、そんな自分に福音を伝えるお仕事をまかせてくださった神様に感謝していたのです。