チャレンジ・ダ・バイブル

 ペリシテ人に負けてしまったイスラエルの人たちでしたが、サムエルを中心に出直そうとしていました。私たちも失敗することもあるかもしれません。失敗してもイエス様を信じて神の子になっていた人が、そのために神の子でなくなってしまうわけではありません。
 でも、その時に大切なことは自分が間違っていたことを素直に認めて、神様におわびし、正しい歩みを始めることなのです。
 九月というのは新しく出直すのにとてもよい季節です。もう一度神様の前に出て、悔い改めることがあったらきちんと悔い改めて、神様の力でスタートしましょうね。


九月五日(日)1サムエル七1〜6
 神の箱がキリアテ・ヤリムに置かれて二十年がたってしまいました。イスラエルの人たちは神様を求めました。でもサムエルは、それならまずアシタロテの神様を捨てて、本当の神様だけをい信じていくようにと言います。教会も神社もお寺も何でもいいやではいけないのです。


九月六日(月)1サムエル七7〜17
 イスラエルの人たちが神様に悔い改め、出直そうとして集まっていた時にペリシテがまた攻めてきました。大ピンチです。でもサムエルが祈ると神はその祈りに答えてイスラエルを救い出してくださいました。神様を第一にしていく時に、神様は私たちを助けてくださいます。


九月七日(火)申命記五1〜21
 申命記もイスラエルの出直しの記事が書かれています。エジプトを出て四十年、さあこれからいよいよカナンの地に入るぞと言う時に、イスラエルの人たちはもう一度神様の言を確認したのです。


九月八日(水)申命記五22〜33
 イスラエルの人たちは神様の声を「聞いて従います」と言いました。神様もその言葉を喜ばれました。神に聞いて従うことがしあわせへの道です。神様もイスラエルの人たちがそのように歩むことを願っておられました。イスラエルの人たちはそう神様の前に約束した日のことを忘れてはならなかったのです。


九月九日(木)申命記六1〜9
 特に4節の言はイスラエルの人なら誰でも知っているとても大切な言でした。神様のことを一番に愛すること、そしてその言をいつも覚えていることを神様は命じられたのでした。


九月十日(金)申命記六10〜19
 モーセはイスラエルの人たちのことが心配でした。イスラエルの人たちはきっとまたよその国の人たちが拝んでいる手で作られたうその神様を拝むようになるのではないだろうか。神様だけを愛し、私たちを守ってくださる神に信頼することが何よりも大切なことでした。


九月十一日(土)申命記六20〜25
 神様はエジプトで奴隷だったイスラエルの人たちを自由にしてくださいました。それは本当に信じられないような大きなできごとでした。神様によって救われた特別な人たちだから、神様も私たちに従って生きることを神様も人も期待しています。そしてそれこそが幸せへの道なのです。