チャレンジ・ダ・バイブル

 イエスさまはいろいろな人に会われました。その中にはニコデモのようなえらい先生もいましたけれど、取税人や病気の人たちなど、みんなが近づかないような人たちもたくさんいました。でもイエスさまはそんな人たちとお友だちになりました。イエスさまはきよく正しい方でしたけれど、みんなから指をさされてあんな罪人といわれてしまうような人たちがイエスさまの周りにはたくさん集まってきて、楽しくすごしました。イエスさまが自分たちを受け入れてくださっていること、救いをくださる方であることがみんなに分かったからです。


 一月十六日(日)
 ヨハネ五1〜9

 しんでんの北側にあったベテスダの池の周りは病人でいっぱいでした。そこに三八年間も病気でねている人がいました。昔は自分もきっとなおるときぼうを持っていたでしょう。でもとっくにあきらめていたかもしれません。でもイエスさまは「なおりたいのか」と声をかけ、元気にしてくださいました。


 一月十七日(月)
 ヨハネ五10〜18

 この男の人がなおしてもらったのは安息日のできごとでした。ユダヤ人たちはイエスさまが病気のひとを元気にしたのは安息日にしてはならない仕事をしたことになると怒りました。でもイエスさまは私は天のお父さまと同じようにはたらくんだよとおっしゃいました。


 一月十八日(火)
 ヨハネ五19〜29

 イエスさまは天のお父さんと同じように自分も人に命を与えるために来たのだとおっしゃいました。イエスさまはいつも天のお父さんといっしょに生きていました。そしてこのお方を信じる人はさばかれることがなく、永遠の命をいただけるのです。


 一月十九日(水)
 ヨハネ五30〜40

 イエスさまの時代にはまだ旧約聖書しかありませんでした。旧約聖書にはイエスさまという名前は出てきません。でもイエスさまが生まれるずっと前に書かれた旧約聖書も実はやがて来られる救い主について、つまりイエスさまについて書いてあったのです。


 一月二十日(木)
 ヨハネ五41〜47

 旧約聖書の創世記から申命記まではモーセが書いたと言われています。ユダヤ人たちはみんなモーセを心から尊敬していました。けれどもそのモーセもイエスさまについて書いていたのです。イエスさまは聖書を信じて自分を受け入れるようにとおっしゃったのです。


 一月二一日(金)
 ルカ七1〜10

 「百卒長」とはローマの軍隊の百人隊長です。この人のしもべが病気になって死にそうになっていました。隊長はイエスさまに助けを求め「ただお言葉をください」とお願いしました。イエスさまのお言葉に力があることをしっていたからです。


 一月二二日(土)
 ルカ七11〜17

 ナインという町に一人の女の人が住んでいました。この人のご主人は死んでしまい、そして大事な大事な一人息子も死んでしまいました。悲しい悲しいおそう式でした。イエスはこのお母さんに「泣かないでいなさい」お声をかけ、この息子を生き返らせてくださいました。