チャレンジ・ダ・バイブル

 ぼくたちには日本中いろいろなところに、それだけじゃない世界中いろいろなところに仲間がいる。みんな神の子だから、ぼくたちの兄弟姉妹だ。まだ会ったこともない友だちだけど、みんなのためにお祈りしよう。食べるものが十分にないお友だち、いつばくだんが飛んでくるか分からないような所でくれしているお友だち、イエスさまを信じているって大きな声で言ったら命があぶないような国でがんばっているお友だちもいる。みんなお祈りがひつようなんだ。


 二月六日(日)
 ルカ十38〜42

 マルタとマリヤのおうちにイエスさまが来てくださった。二人はうれしくて、一生けんめいじゅんびした。そしてイエスさまがおいでになった。マルタはますますがんばってお料理をした。でもふっと気がつくとマリヤがいない。ちゃっかりイエスさまのお話を聞いている。マルタはいらいらしてとうとうばくはつしてしまった。でもイエスさまは何よりも、じっとお話を聞いてほしかったんだ。


 二月七日(月)
 ルカ十一1〜13

 イエスさまがお祈りされるのをおでしさんたちはいつも見ていた。お祈りを知らなかったわけではない。でもイエスさまのお祈りはどこかちがうと感じたんだろうね。お祈りを教えてくださいとお願いした。イエスさまは主の祈りを教えて、そして神さまを信じて求め続けるようにおっしゃった。


 二月八日(火)
 ルカ十一14〜26

 イエスさまが悪れいを追い出しておられるのを見て、「イエスさまは悪まの親分なんだ」とひどいことを言う人がいた。とんでもない。イエスさまは悪まよりずっと強いお方だ。大事なことは悪まを心から追い出して、その後イエスさまを心に受け入れて生きることだよね。


 二月九日(水)
 ルカ十一27〜36

 イエスさまのお母さんのマリヤも確かに恵まれていた。でも、ぼくたちも神さまの言を聞いて、罪をおわびし、イエスさまを信じて、したがっていくなら、本当に恵まれているしあわせな人だと言える。


 二月十日(木)
 ルカ十一37〜53

 パリサイ人たちはまじめで聖書もよく勉強していたけれど、いつも外側のことばかり気にしていた。人からどう見られるかということばかり考えていた。でも大切なことは心の内側。みんなからどれだけほめられるかではない。どれだけりっぱなことが言えるかより、どれだけそう言う生き方をするかだ。


 二月十一日(金)
 ルカ十二1〜12

 イエスさまを信じていますということがだんだんきびしくなっていた。いのちがけになってきた。でも「おそれるな」とイエスさまはおっしゃった。神さまは何を言ったらいいか教えてくださるし、ちゃんとしんぱいしていてくださるからだ。


 二月十二日(土)
 ルカ十二13〜21

 自分のこと・お金のことばかり考えていると、私たちはおかしくなってきます。たくさんのものやお金を持っていても人はしあわせにはなれません。もっともっと大切なものがいっぱいあるのに、それが見えなくなってしまうからです。