チャレンジ・ダ・バイブル

 もし教会学校にみんなにきらわれていて、らんぼうな男の子や、いやみや悪口ばかり言う女の子が来るようになったらみんなはどうする?そんな子は来ないようにさそわない!だってあの子が来たらみんな他の子が行きたくないって言うもん。そうかもしれないね。でも、イエスさまの所に集まってきていたのは、けっこうみんなのきらわれ者たちだった。でもイエスさまはあっちに行けと、お前とは友だちじゃないとかおっしゃらなかった。かえって、そんな人たちがイエスさまの所に来ると少しずつニコニコしてきて、神さまを信じるようになっていったんだ。みんなのクラスのきらわれ者はどうしてるかなあ。


 二月二十日(日)
 ルカ十五11〜24

 ある兄弟の弟がお金だけもらってお父さんを捨てて飛び出した。行った。でもボロボロになったとき、この弟息子は帰ってきた。お父さんはこの子をダメだと言わないで、ゆるして受け入れてくれた。神さまも私たちのことを待っている。


 二月二一日(月)
 ルカ十五25〜32

 パーティーが始まった。でもお兄さんはなっとくがいかない。何であんなダメむすこが帰ってきたからって、そんなによろこぶのか分からない。このお兄さんはお父さんのそばにいたけれどお父さんの気持ちは分からなかった。みんなは神さまの気持ち分かる?


 二月二二日(火)
 ルカ十六1〜18

 イエスさまはこのたとえ話の男の人をほめてるわけではない。お金を愛していると神さまが愛せなくなってしまう。大切なのはお金を何のために使うかだ。もう一つ、お金はなくなってしまうけど、本当の友だちはなくならない。友だちを作るって大切なことだ。


 二月二三日(水)
 ルカ五27〜32

 レビとはイエスさまの十二弟子の一人で福音書を書いたマタイのことだ。みんなにきらわれていた取税人マタイもイエスさまに声をかけられて変えられた。マタイは自分が罪人であることを知っていた。だからよけいにイエスさまにすがれたんだね。


 二月二四日(木)
 1コリント一26〜31

 パウロはコリントの教会の人たちにみなさんが救われたのはみなさんが頭が良くて、力があって、家が大きかったからではないですよ、と言いました。かえって逆でした。自分がこんなによい子だから救われたというわけではありません。こんな私をあえて神さまは救ってくださったのです。


 二月二五日(金)
 1ペテロ一3〜9

 ペテロがこの手紙を書いた時、教会にははげしいはくがいがありました。教会に行くことは命がけでした。でもイエスさまを信じた人たちは愛とよろこびにあふれていました。イエスさまがすくってくださったということを知っていたからです。


 二月二六日(土)
 1ぺテロ一13〜25

 私たちは罪をおかして、ほろんでしまってもしかたのない者でした。でも神さまは大きなぎせいを払って救ってくださいました。お金ではありません。神の子イエスさまの命という大きなぎせいとひきかえに私たちは救われたのです。