聖書だ! ワクワク

 
 神さまが世界も人間も造られたというと、「え、学校ではそうは習わなかったよ」という人もいるかもしれないね。神さまを信じない人は、偶然に命が生まれて、偶然に進化していったという。けれども聖書は世界も人間も自然に適当に偶然に生まれたのではないと言っている。神さまが深いお心の中で造ってくださった。アダムやエバだけではない。神さまはみんなひとりひとりのことも造ってくださったんだよ。あなたでなければならない、特別なあなたとして造ってくださったんだよ。


□四月十日(日)

    創世記一26〜31

 神さまが最後に造られたのは人間だった。神さまが人間を造られたときには今までとちょっとちがっていた。神さまは自分のかたちに人間を造られたんだ。正しいことがわかるように、いろいろなことが考えられるように、神さまとお話ができるように、自分がいろいろなことが決められるように・・・そんなものとして人間を造られた。本当にすばらしい世界ができた。


□四月十一日(月)

    創世記二1〜3

 神さまは七日目に何を造られたのだろう。神さまは七日目に休まれた。そして、この七日目を特別な日、みんながしていることをやめて、神さまを礼拝する日とされた。後で、この日を「安息日」と呼ぶようになった。だから今でも私たちは日よう日に教会に集まって礼拝をするんだ。


□四月十二日(火)

    創世記二4〜14

 神さまは土のちりで人間を造られた。だから人間は弱く、小さなものだ。死んだら体は土にかえっていく。でも神さまはその鼻に息を吹き入れられた。神さまの命が与えられた。人間には霊があって、人間は特別なものとして造られたんだ。


□四月十三日(水)

    創世記二15〜17

 神さまは人間をすばらしいエデンの園に住ませてくださった。川が流れていて、きれいな木の実がたくさんとれた。どの木からも取って食べてよかった。善悪を知る木以外は。約束・きまりはそれだけだった。最初、人間が神さまとの約束を守っている間は、人間はとても幸せだった。


□四月十四日(木)

    創世記二18〜25

 最初、人が造られたとき、人はひとりぼっちだった。どんな動物や鳥も、本当の仲間にはならなかった。神さまは人がねている間に、人のあばら骨から女を造られた。人に初めて本当の仲間・助け手・パートナーが与えられた。二人はしあわせだった。最初のけっこんだね。


□四月十五日(金)

    イザヤ四三1〜7

 神さまは天も地も、すべてのものを造られた。最初の人間を造られたのも神さまだ。けれどもそれだけではない。神さまは「あなた」を造られた。神さまはあなたのことを知っている。あなたを救い、「あなたはわたしのもの」とおっしゃるんだ。


□四月十六日(土)

    詩篇一三九1〜24

 神さまは私たちのことを何でも知っている。神さまが私たちを造られたからだ。そう、神さまがまずよく考えて、お母さんのおなかの中で私たちを組み立て、すばらしい、すてきなものとして造ってくださったんだ。てきとうじゃない。私たちは神さまのけっさくなんだ。