聖書だ! ワクワク

 

 教会のキャンプに毎年、行っているお友だちもいることでしょう。教会のキャンプでイエスさまを信じたよ、という人も多いと思います。けれども、キャンプのときにはよーしがんばるぞ!と思うのですが、家に帰るとなかなかうまくいかないことってあるよね。これからはけんかしないぞ!これからはお家の人の言うこと何でもきくぞ!やさしくなるぞ!勉強するぞ!とかいろいろ思うのだけれど、長続きしないのです。悲しいよね。でも、それでも神さまはみんなのことを絶対に見捨てない。忘れないでね。


□七月三一日(日)

    創世記十七1-8

 「全能」とは何でもできるということです。イシマエルが生まれてからもう十三年もたっていました。全き者、完全な人と言われてもアブラムはほど遠かったと思います。神さまの約束を信じて待ち続けることもできませんでした。けれどもそんなアブラムにも神さまは「わたしには何でもできる。あなたを全き者としよう」と近づいてくださったのです。


□八月一日(月)

    創世記十七9-14

 神さまはアブラハムとの約束のしるしとして、割礼という儀式を定められました。アブラハムや子どもたちが神さまと特別な関係であることを忘れないためでした。今は教会では割礼はしません。神さまと私たちの間にイエスさまを信じて救われるという新しい約束があるからです。


□八月二日(火)

    創世記十七15-27

 神さまはアブラムとサライに新しい名前をくださいました。そしてサラに男の子が生まれると約束してくださいました。アブラハムもサラもすっかり年をとっていました。子どもができる年ではありません。でも神さまにはできないことはありませんでした。


□八月三日(水)

    創世記十八1-8

 アブラハムのところに三人のお客さんがきました。アブラハムは三人をていねいに三人をお客さんとしてもてなします。三人の二人は御使いであり、一人は「主」と言われています。神さまがアブラハムのところにお客さんにきてくださったのです。


□八月四日(木)

    創世記十八9-15

 「来年の春、男の子が生まれています」と言われても、サラは心の中で笑いました。そんなばかなことが起こるはずがないと思っていたからです。けれども神さまはサラの心の中をちゃんと見ておられました。心の中を見ておられる神さまの前に喜ばれる歩みがしたいですね。="25%" ALIGN="CENTER">


□八月五日(金)

    創世記二一1-7

 ところが神さまがおっしゃったようにサラのおなかが大きくなってきて、一年後、本当に男の子が生まれました。アブラハムもサラもうれしくてたまりませんでした。イサクという名前には「笑う」という意味があります。イサクが生まれて不信仰の笑いではなく、心からの喜びの笑いがこみ上げてきたのです。


□八月六日(土)

    ヘブル十一11-12

 サラは最後にはやっぱり約束をしてくださった真実な神さまを信じました。イサクが生まれ、その子が生まれ、そのまた子どもが生まれ、とどんどん増えていき、本当に海辺の砂の数のようになったのです。