聖書だ! ワクワク

 

 失敗しても神さまにきらわれたり、見捨てられることはない、と書いたけど、「そうだよね。まあ罪を犯してもしょうがない。こんなもんだよ」と開き直るのも困るんだ。みんなのことを救ってくださった神さまは、みんなが神さまのお役に立つ人になれるように、ちゃんと計画をもっていてくださる。導いてくださる。そして天国で神さまの前に「すいません」「すいません」ってびくびくしながら出るのではなく、神さま早く来たかったですって喜びをもってお会いできるように、私たちを整え、作り上げてくださるのです。


□八月十四日(日)

    創世記二二1-8

 神さまはアブラハムに、その子イサクをささげなさいと求められます。神さまもイサクがアブラハムにとってどんなに大切か知っておられたでしょう。けれども、だからこそその一番大切なものを神さまにささげるようにとおっしゃったのです。アブラハムは次の日、早く起きてイサクといっしょに出発します。アブラハムは神さまに従おうとしていました。


□八月十五日(月)

    創世記二二9-14

 アブラハムは神さまを恐れていました。こわがっていたのともちがいます。神さまを敬い、何でも従おうとしていたのです。アブラハムは神さまのためには自分の一番大切なイサクもささげようとしました。神さまはそんなアブラハムとイサクを喜んでくださいました。


□八月十六日(火)

    創世記二二15-24

 神さまは従ったアブラハムに、豊かな祝福を約束してくださいました。今までも言っておられた約束です。けれどもさらに誓って、その約束が確かなことを保証してくださったのです。神さまより大切なものはありません。


□八月十七日(水)

    ローマ十二1-2

 いろいろなささげものがあると思います。けれども神さまが一番喜ばれるのは、私たちが自分を神さまにささげることです。神さまのために用いていただくことです。そして、それこそが礼拝の本当の意味でもあります。礼拝の中で神を信じ、神に自分をささげるのです。


□八月十八日(木)

    ヘブル十一17-19

 神さまはアブラハムにイサクの子どもたちが神さまの約束を受け継いでいくのだと語っておられました。ですから、アブラハムはイサクをささげても大丈夫、神さまはうそをつかないし、イサクを生き返らせることもできると信じていたのです。


□八月十九日(金)

    ヤコブ二14-26

 信じると言うことが口だけになってはいけません。信じているなら、アブラハムがそうだったように、信じているような生き方をするのです。神さまにイサクをささげたアブラハムを神さまは「友」と呼んでくださいました。神さまもみ子イエスをささげてくださったからです。


□八月二十日(土)

    創世記二三1-20

 サラが死にました。アブラハムにとってイサクにとってそのことはどんなにさびしいことだったことでしょうか。アブラハムはサラのためにお墓の土地を買います。ヘテの人々もアブラハムによくしてくれました。アブラハムは「神のような主君」と呼ばれて尊敬されていたのです。