聖書だ! ワクワク

 

 エサウとヤコブは兄弟でした。ヤコブはお兄さんとお父さんをだましてしまう。うそをつくのは良くないことだよね。人をだますのも良くない。でも、神さまはこのヤコブを造り変えて、アブラハム、イサクと受け継がれてきた大事な約束を受け継がせようとされていました。エサウは神さまからの大切な長子の特権を大事にしませんでした。ヤコブはいろいろだめなところ、困ったところ、いっぱいあったけれど、ヤコブには何がなくても、どうしても神さまも祝福がいただきたいという強い願いがあったからです。そんなヤコブを神さまは愛されたのです。


□九月四日(日)

    創世記二七1-17

 お父さんが死ぬ前にする特別なお祈りはとても大事なものでした。イサクはエサウのためにその特別なお祈りをしたいと思っていました。けれどもお母さんはヤコブのためにと思います。ヤコブが好きだったと言うだけではありません。きっとリベカは二五23の神さまの約束をずっと覚えていたのでしょう。


□九月五日(月)

    創世記二七18-29

 ヤコブは神さまからの特別なお祈りをしてもらいます。うそをついてお父さんをだましているときに、ヤコブはどんな気持ちだったでしょうか。ドキドキしたでしょうね。特別なお祈りをしてもらってうれしかったかなあ。


□九月六日(火)

    創世記二七30-40

 ヤコブがお父さんをだましたことはすぐにばれてしまいます。エサウは自分も祝福してほしい、自分にも特別なお祈りをしてほしいと泣いてお父さんにお願いしました。どうしても神さまの祝福がほしいと、初めてのように思ったのです。でも遅すぎました。


□九月七日(水)

    ヘブル十二1-3

 私たちの信仰の歩みは競走のようなものです。余計なものを持っていたら走れません。きょろきょろしたり、他のことを考えていたら勝てません。イエスさまをしっかり見上げて走るのです。イエスさまは私たちに信仰を与え、その信仰を完成させゴールさせてくださるからです。


□九月八日(木)

    ヘブル十二4-11

 罪に降参してはいけません。戦うのです。試練といって、苦しくつらいことがあっても、神さまはいじわるをしておられるのではありません。私たちを愛し、訓練して、もっと力強い生き方ができるようにしようとしておられるのです。


□九月九日(金)

    ヘブル十二12-17

 神さまによろこばれる生き方ってどんなものかを考えてみましょう。何でも失敗したらあやまればいいから、とたかをくくらないでください。私たちの歩みの中には取り返しのつかないこともあるからです。だから、本当に祈りつつ神さまに力を与えられて歩んでいきたいと思います。


□九月十日(土)

    ヘブル十二18-29

 エサウは神さまの祝福を軽く考えました。けれども神さまが私たちのために用意していてくださる祝福は本当に豊かなものです。何があってもしぼむことのない、震われない国です。神さまがどんなに大きな祝福を備えていてくださっているかを思い、感謝にあふれて行きましょう!