聖書だ! ワクワク

 

 神さまはいつでも一緒にいてくださいます。でも、私たちはよくこんな風に感じます。いいことがいっぱいあると、ああ神さまいてくださるなあと感じ、悪いことが起こると神さまはどこに行ってしまったのだろうと感じるのです。けれども、そう感じるときもそうでないときも、どんな時でも神さまは一緒にいてくださるのです。

 でも、そんな気がしないなあという人。聖書を毎日読んで、聖書の言葉を頭の中で考えるようにしてごらん。そして一人で「神さま!」ってお祈り初めてごらん。きっと神さまが一緒にいてくださることが分かってくるはずだから。


□九月十一日(日)

    創世記二七41-45

 エサウはヤコブを憎むようになりました。お父さんが生きているうちは止めておくけれど、お父さんが死んでしまったら絶対ヤコブを殺すんだ、そう思って元気を出していました。怒りとか憎しみって本当にこわいのです。あいつなんかいなければいいんだというのも殺人と同じです。


□九月十二日(月)

    創世記二七46-二八9

 イサクとリベカはヤコブを、逃がすことにしました。ヤコブにとってはお嫁さん探しの旅でもありましたけれど、家にいられなくなってしまったのも事実です。けれどもお父さんはヤコブのために心から祝福をお祈りしました。


□九月十三日(火)

    創世記二八10-17

 ヤコブはひとりぼっちで、きっと寂しくて、心細かったと思います。けれども神さまは一人で寝ているヤコブに近づいて、「私が一緒にいるから」と励まされたのでした。ヤコブは「神さまはここにもおられるんだ」と勇気が出てきました。もうお父さんの神さまではなく私の神さまでした。


□九月十四日(水)

    創世記二八18-22

 神さまがそこにもいてくださることを知ったヤコブは、そこに記念の石を立てて、そこで神さまを礼拝しました。ヤコブは「またここに連れて帰る」とおっしゃった神さまのお約束を感謝して受け止め、信じたのでした。


□九月十五日(木)

    ヘブル十三1-6

 私はあなたを離れず、あなたを捨てない、というのは神さまが私たちに与えていてくださるすばらしい約束です。神さまがいつも一緒にいて、助けてくださるとしたら、何も恐れる必要はありません。すると私たちの生き方も変わってくるはずです。


□九月十六日(金)

    マタイ二八18-20

 イエスさまがよみがえられて、天に帰られる前にも、世の終わりまでいつもあなたと共にいるとおっしゃいました。私たちはイエスさまのお姿を見ることはできません。けれどもイエスはすべての権威をもって、いつも共にいるとおっしゃるのです。


□九月十七日(土)

    イザヤ四一10

 私たちはやっぱり恐れることがあります。ドキドキすることがあります。心配になってしまうことがあります。けれども、神さまはそんな私たちに「恐れるな」「驚くな」とおっしゃいます。神さまは私たちといつもいっしょにいてくださって、私たちを強くし、助け、支えてくださるからです。