聖書だ! ワクワク

 

 神さまは目に見えません。目に見えるものは神さまではありません。けれども人間は神さまが目に見えないと時々心配になります。目に見えた方が安心できるような気がして、そして人間はいろいろな形の神さまを作りました。でも、それはもちろん本物ではありません。目に見えないと言うことは、そこにいないということではありません。実は、空気も目に見えませんし、電波も目に見えません。目に見えない方が便利です。また友情も愛も希望も目に見ることはできません。でも信じます。神さまも目には見えませんが、いつでも私たちひとりひとりと一緒にいてくださるのです。


□十月九日(日)

    創世記三九1~6

 ヨセフはエジプトに連れて行かれて、ポテパルという人の家のしもべとして働きます。どんなにさびしくて、つらかったでしょうね。でもヨセフはそこで心から働きました。そして神さまはヨセフといっしょにいてくださって、ヨセフのすることを全部祝福してくださいました。


□十月十日(月)

    創世記三九6~18

 ポテパルの奥さんは若くてかっこいいヨセフが気になってしかたありません。ご主人にないしょでヨセフと二人だけで過ごそうとします。ヨセフはそれは神さまがおきらいなことだと知っていました。そして、ヨセフは罪から守られました。


□十月十一日(火)

    創世記三九19~23

 ヨセフが自分といっしょに悪いことをしようとしないことを知ったポテパルの奥さんはヨセフを悪者にして、ろうやに入れてしまいました。でもそこでも神さまはヨセフといっしょにいてくださってヨセフのすることをしゅくふくしてくださいました。


□十月十二日(水)

    詩篇四六1~12

 神さまは私たちが悩むときにもすぐそばにいてくださいます。そして私たちを助けてくださいます。それはもしかしたら自分の思い通りにいくということではないかもしれません。けれども神さまがいっしょにいてくださったら何が起こってもおそれる必要はないのです。


□十月十三日(木)

    イザヤ四一8~16

 イザヤの時代もイスラエルの人たちは神さまから心がはなれていました。イザヤはこのままでは国がなくなり、みんなは遠いところに連れて行かれると語ります。でもどんな地の果てにいても神さまが神さまであることは変わりませんし、神さまが一緒にいてくださるということも変わらない、そうイザヤは言いました。


□十月十四日(金)

    1ヨハネ五1~5

 イエスさまを信じた人は神の子です。イエスさまを信じてもいろいろなことがあるかもしれません。でも神の子になった人はどんな中にあってもあくまの力に勝つのです。もうすでに世に勝ってくださったイエスさまがいっしょにいてくださるからです。


□十月十五日(土)

    ヨハネ十四16~17

 イエスさまは天のお父さんが助け主を送ってくださると約束してくださいました。聖霊とか御霊と呼ばれるお方です。そして、この助け主である御霊は私たちといつも一緒にいてくださるのです。