聖書だ! ワクワク

 

 今週からしばらく聖書ってなんだろうということを学ぶことにします。聖書って何?ぶあつい本・重い本?読んでてもよく分からない本?眠くなる本?教会で使う本?
 聖書のことを英語ではザ・バイブルって言います。これは「これぞ本!」「本といったらこれ!」「本の中の本」「本の王様」という意味があります。
 聖書は神の言葉です。そして今週はこの神の言葉は心の美容と健康に大切なもの、心が生きていくためになくてはならないものだということを学びます。


□十月三十日(日)

    ルカ四1~13

 悪魔はイエスさまをゆうわくして何とか神さまにさからわせて、自分の手下にしたいと思っていました。みんなが救われないようにしたいと思っていました。でもイエスさまはいつでも聖書の御言であくまをやっつけました。どんなパンがあるより、宝を持ったり王様になるより、聖書の御言には力があります。聖書の御言はイエスさまの命でした。


□十月三一日(月)

    申命記八1~10

 モーセはイスラエルの人たちを前にして荒野の四十年間を振り返ります。神さまがイスラエルの人たちに知ってほしかったのは食べるものも大事だけれど、もっと大事なものがあるということ、本当はわたしたちは神さまのことばがないと生きていけないと言うことでした。


□十一月一日(火)

    申命記八11~20

 苦しいこともありました。大変なこともありました。でも神さまがイスラエルの人たちに願っておられたのはみんながしあわせになることでした。そして、そのためには神さまのことばをちゃんと聞いてしたがうということがとても大切でした。


□十一月二日(水)

    詩篇一一九97~104

 ここで「おきて」「戒め」「あかし」「さとし」といろいろ言われているのはみんな神さまの言葉のことです。神さまの言葉は蜜よりも甘いとここでは言われています。それほど、この人は神さまのみ言葉が大好きだったのです。み言葉のすてきなことを知っていたのです。


□十一月三日(木)

    エレミヤ十五16

 よげん者だったエレミヤも「私はみ言葉を食べました」と言います。神さまのみ言葉を聞いて、その言葉を思うときにエレミヤは「食べた」という言い方をしたのです。エレミヤの人生にはつらいことがたくさんありました。でも神さまのみ言葉はエレミヤの喜びであり、楽しみでした。


□十一月四日(金)

    詩篇一1~6

 「昼も夜もそのおきてを思う」とは神さまのみ言葉を口の中で何回も何回もくり返しているこの人の姿を表しています。聖書のみ言葉をいつも考え、思い出している人は、元気になり、神さまをおよろこばせする生き方ができます。


□十一月五日(土)

    箴言四1~27

 神さまの言葉をいつも読み、いつもみ言葉のことを思い、そのみ言葉にしたがっていきましょう。神さまのみ言葉は私たちに命を与え、元気にします。私たちが神さまの悲しまれる道を歩まないように、私たちを守ります。