聖書だ! ワクワク

 
 私たちはペテロやヨハネや、イエスさまの時代の人たちがうらやましいなあと思ったります。イエスさまの話を直接聞いたり、イエスさまのなさることを目で本当に見ることができたからです。
 でも私たちもイエスさまを聖書で読んで知ることができます。目で見ることはできないけれど、耳で聞くことはできないけれど、聖書を読んでいる中で心の目にイエスさまが見えてきます。心の耳にイエスさまの声が聞こえてきます。
 そして、やがてイエスさまがもう一度来られるときには、本当に顔と顔を合わせるようにしてイエスさまにお会いできるのです。


□一月十五日(日)

    ヨハネ六1 - 15

 大ぜいのおなかをへらした人たちがいました。それなのに手元にあるのはたった五つのパンと二匹の魚だけなのです。でもイエスさまはそのパンと魚を感謝されました。みんながおなかいっぱいになりました。イエスさまは私たちの心も満たしてくださいます。


□一月十六日(月)

    ヨハネ六22 - 33

 パンは食べてもまたおなかがすくでしょう。でもくちない食べ物があると言います。これはくさらない、かびも虫もつかない食べ物です。古くならない食べ物です。そしてそれを食べる人は永遠の命を持つのです。口に入れる食べ物のことばかり考えていると、永遠の命をもらいそこなうことがあるから気をつけて!


□一月十七日(火)

    ヨハネ六34 - 40

 イエスさまは私が命のパンだとおっしゃいました。そしてその命のパンを食べるとはイエスさまを信じることだったのです。あの五千人の給食を通して、本当はみんなにそのことを知ってほしかったんですね。


□一月十八日(水)

    ヨハネ六41 - 51

 イエスさまは自分は天からきたのだとおっしゃいました。でもみんなはイエスさまが天から来られたと言うことがわかりませんでした。イエスさまは本当に私たちのためにご自分を与えてくださいました。そしてイエスさまを信じる人は本当に永遠の命をいただくことができるのです。


□一月十九日(木)

    ヨハネ六52 - 59

 イエスの血を飲み、肉を食べると聞いてみんなイエスさまの話がすっかり分からなくなりました。けれどもそれはイエスさまを信じると言うことでした。それからね、イエスさまの血を飲み、肉を食べるって、聖餐式のことでもあるんだね。むずかしかったら教会の先生に聞いてみよう。


□一月二十日(金)

    ヨハネ六60 - 65

 イエスさまの話が分からなくなった人たちはみんな文句を言いました。けれどもイエスさまの言葉は信じる私たちを生かす言葉です。信じないと話が分からなくなってしまうのです。


□一月二一日(土)

    ヨハネ六66 - 71

 イエスさまについてきていた人たちがずいぶん少なくなりました。けれどもペテロや十二人の弟子たちはイエスさまが本当のことを言っておられ、イエスさまの言葉に命があることを知っていました。そして、イエスさまからはなれようとはしなかったのです。