聖書だ! ワクワク
□一月二二日(日) ヨハネ六15 - 21 ガリラヤ湖は大荒れでした。ガリラヤ湖を知り尽くしているヨハネたちもこわくなったほどです。こんなときにイエスさまがいてくれたらとどんなに思ったことでしょう。でも弟子たちはびっくりしました。いないはずのイエスさまが水の上を歩いて来られたからです。「わたしだ」というイエスさまの声がどんなにうれしかったことでしょうね。 □一月二三日(月) ヨハネ七1 - 9 イエスさまの弟たちにはイエスさまのしていることが良く分かりませんでした。有名になりたいのだったらもっとみんなが集まるところで自分をアピールしたいと、と思ったのかもしれません。でもイエスさまは有名になりたかったのではありませんでした。 □一月二四日(火) ヨハネ七10 - 24 律法とは聖書のことです。イエスさまは特別な学校に行っていたわけではありませんでしたが、聖書のことをよく知っておられました。もちろん聖書の先生はたくさんいました。でも知っているのに、だれも聖書に書かれていることを行っていない、そうイエスさまはおっしゃいました。あなたはどうでしょう。 □一月二五日(水) ヨハネ七25 - 31 イエスさまは神の子でしたが、神さまにつかわされてこの世に来てくださいました。みんなそのことに気づいていたのかもしれません。知っていたのかもしれません。でも信じ受け入れようとはしませんでした。 □一月二六日(木) ヨハネ七32 - 36 イエスさまは自分が神さまのところに帰るときが近づいていることを知っておられました。やがて十字架の時が来た時に、だれもイエスさまにはついて来ない。ついて来れない。さあ、それではイエスさまは今はどこにおられるのでしょう。 □一月二七日(金) ヨハネ七37 - 44 イエスさまは大声で人々に話されました。だれでもかわく者はわたしのところに来て飲むがよい。これはのどのかわきのことではありません。心のかわきのことです。こころが悲しくて、つかれて、くたびれて、からからになっている人をイエスさまは救ってくださいます。 □一月二八日(土) ヨハネ七45 - 52 イエスさまを捕まえに行った人たちはすごすごと帰って行きました。イエスさまの話を聞いているうちに、この人は本当に救い主かもしれないと思ったのです。イエスさまの話をちゃんと聞いていたらきっと分かるはずなのです。あなたは聞いてイエスさまに聞いていますか。 |